「それならなぜ泣く?」
その声はどこか切なげだった。
シャルルはきっとあたしを哀れんでいるんだ。どう見たってあたしが幸せそうに見えるわけがない。
だけどそんな事どうだっていいじゃない!それがひどく惨めだった。苛立ちは自然とあたしの涙を止めてくれた。
「そんなのあんたには関係ないことでしょ!もう放っておいてちょうだい」
「プルップルッ……」
あたしの言葉に重なるようにして再びシャルルの携帯が鳴り出す。シャルルが携帯に気を取られている隙にあたしは掴まれていた手をさっと引いた。
さしずめ彼女が待ちきれずにかけてきたんだろう。
「早く出てあげて。あたしもう帰るから!」
いったい何コール鳴らすのよ?!と思いながらあたしも負けじと声を張り上げた。こうして目の前で見せつけられるのもこの香りももうたくさんだった。
鳴り続けていた携帯がふっと静かになった。
「オレは君を放って……」
「プルップルッ……」
シャルルの声がかき消されるように再び携帯が鳴り響く。シャルルは画面に視線をやると小さく舌打ちした。一旦そこで言葉を切ると内ポケットから名刺を取り出し、さらさらと何かを書いてあたしに差し出した。
「その車に乗ってオレの宿泊先のホテルで待っていてくれないか?これからどうしても外せない用事があるんだ。その後で君ともう一度話がしたい。いいね?」
そう念押しするとシャルルは携帯を耳に当てながら部屋をあとにした。
「すまない。すぐに行く」
渡された名刺には車種と色、ナンバーが書かれていた。
張り詰めていたものが一気に込み上げてきてあたしの頬を再び涙が伝っていく。
怒りと切なさとが入り混じってあたしの心はぐちゃぐちゃになった。
ホテルの部屋で待てってどういう意味よ?!
あたしが可哀想だから彼女との後に相手をしてやるってこと?!
バカにしないでよ!誰が行くもんか!
部屋を出たあたしはエレベーターを探した。ほんの一瞬だけどあの時の恐怖があたしを襲う。包帯で巻かれた右手を見つめる。
エレベーターはやめておこう。しばらくは乗りたくないかな。それであたしは階段を探すことにした。
すぐに見つけることができた。
足元には大きく三階と書かれていて少しホッとした。
階段を利用する人は普段あまりいないみたいだった。降りるたびにオパールグリーンのタイルがコツンコツンと音を立てて広がる。それを聞きながらあたしの意識はしだいに現実へと戻って行く。
そういえば沙耶さんってどうしたんだろう?それにあたし、仕事放ったらかしじゃないっ?
「代わりなんていくらだっているんだ」っていつも松井さんに言われてるのを思い出してゾッとした。
これは大ピンチよ!仕事がなけりゃご飯も食べられないじゃない!
シャルルの登場で現実をすっかり忘れていたけどあたしは生きるだけで精一杯だったんだ。
その時もの凄い勢いで駆け下りてくる足音が聞こえてきた。
端に避けようと思った瞬間、あたしの体にドーンとぶつかった。
「うわっ」
あたしはバランスを崩して冷たいタイルの上を転がり落ちていった。階段を転がりながら何度も止まろうとするけどどうすることもできない。
もう恐怖でしかなかった。受け身もとれないまま二階の踊り場の壁が近づいてくる。
「代わりならいくらでもいる……」
つづく