翌日、仕事に行く和矢を見送り、あたしは夕食の準備をして家を出た。それにしてもこのタイミングで生理になるなんてついてない。
前はそんなことなかったのに最近は痛み止めを飲んでもあまり良くならなくて横になっていることが多い。
シャルルにやっぱり行けないと連絡を入れようか迷ったけど、次はいつ会えるかわからないからとりあえず行くことにした。
さっと日焼け止めとファンデだけ塗って待ち合わせの場所に向かった。
数十メートル先からでも赤い車が止まってるのはすぐにわかった。
車に近づいてもシャルルは出て来なかった。アパートから離れているとはいえ、昨日みたいに自分が出迎えることで目立つことを避けたんだと思う。
助手席に乗り込んだ瞬間、経血がトロッと出たのがわかった。
いつものことだけど嫌な感触だわ。
「どうかしたか?」
「ううん」
さすがに今朝生理になっちゃってさ、とは言えない。
それにしても些細なことにも気づくなんてシャルルって鋭いわね。
和矢なんて生理だから具合が悪いって言うと「女って大変だな」ぐらいしか言わない。
「朝食は食べたばかり?」
シャルルは前を向いたまま聞いてきた。
元々が中性的な顔立ちではあるけど、以前よりも大人の男性らしい力強さがある。
きっとあれから色々な事があったんだと思った。
「ううん、食べてないわ」
下腹部痛でそれどころじゃなかった。
とりあえず薬が飲みたくてキッチンにあったバナナを食べただけだった。
「なら、このままランチでもいい?」
「うん」
その頃には薬も効いてくるだろう。
「それで、あんたは当主に戻れたの?」
あたしの言葉にシャルルはチラッとこちらに視線を向けた。
唐突だったかしら。
でもあの後もずっと気になっていた。
当主の座を追われ、親族から射殺命令まで出されて、勝手に追い落としておいてミシェルが失脚しそうになったらやっぱり戻らないか?って言われたんだもの。
アルディ家の人達にとってシャルルは都合の良い人材でしかないのかもしれない。
たとえ当主になれたとしてもそんな人達に囲まれて幸せになれるとは思えない。
「ルパートの出した条件はすべてクリアした。だから今は一応、仮の当主には戻った」
「仮の?」
「そう。正式にアルディ家の当主になるためには結婚をしなければいけないからね」
結婚をしないと当主にはなれない。
シャルルの話す結婚という言葉は一般的なイメージとは違って聞こえた。
そりゃ政略結婚なら嬉しくもないわよね。
「そうだったわね」
そうして話しているうちに車はパリテックホテルへと着いた。
どこかのレストランで話すよりは部屋の方が落ち着くだろうってことだった。
ロビーを抜けてエレベーターで部屋に向かう。この前と同じスイートルーム。
部屋に入った瞬間に美味しそうな匂いがした。
誘われるようにダイニングルームの扉を開けるとテーブルの上には銀色の蓋がいくつも並んでいた。
「この銀のやつ。何て言うんだろう?テレビで見たことはあるけど、実際に見るのは初めてだわ」
あたしが言うとシャルルはクスッと笑った。
「クローシュか。料理の鮮度や温かさを保つために被せるんだよ」
「あんたは本当に何でも知ってるのね」
「君は本当に何も知らないんだな」
クスっと笑いながら言ったシャルルの口調は優しく、その瞳は愛おしさに溢れていた。
「何よ、それー!あんたと一緒にしないでちょうだい。あたしは庶民なんだからね。こういう物とは縁がないだけよ」
「そうだな、庶民のマリナちゃん。では準備をしておくから向こうで手を洗っておいで」
あたしはわざと頬を膨らませて見せた。
するとシャルルはあたしの両頬を指で押さえた。
「いいから早く行ってこい。手を洗わない奴には食事はさせないぞ」
「えー!やだー」
あたしは慌てて洗面所に向かった。
和矢といる時とは何かが違う。
何気ないやりとりに懐かしさを感じた。
そう、シャルルとは長く過ごした時期があった。
あの頃は雑に扱われながらも、最後にはあたしを大切に想ってくれているのが伝わってきていた。
シャルルはいつだってあたしを一番に考えてくれていた。
そう思った瞬間、あたしは自分の考えを止めた。
だめだ、これ以上は考えちゃいけない気がした。
和矢への不満がないわけじゃない。
だけど……。
二つ並んだ洗面台は花の装飾が施された蛇口が可愛らしい。
ひねる役目しかないこれに細工をしようなんて誰が考えたのかしら。
まったく庶民からしたら非日常でしかない空間だわ。
「うわぁ、すごーい」
ダイニングに戻るとクローシュが外されたテーブルには豪華な料理が姿を見せていた。
下腹部痛はまだ少しあるけど、料理を前にしたら俄然、食欲が湧いてきた。
「喜んでもらえたようで良かった」
テーブルに並んだボトルに目が止まった。
外はまだ明るい。
こんな昼間からワインなんて貴族じゃあるまいし、ってそういやシャルルは公爵家の人か……と変に納得してしまった。
「軽めの物を選んだけど飲む?」
経血が増えるからさすがに遠慮しておこうかな。
「やめておくわ。温かい飲み物がいいかな」
「コーヒー?紅茶?それとも緑茶?」
どれもカフェインが入ってるやつだ。
生理中はカフェインの入ってない物がいいって聞いたことがある。
「ううん。できればノンカフェインの物がいいかな」
「それならエルダーフラワーでいいかな?」
「何それ?」
シャルルはキッチンに向かうと棚から小瓶を取り出した。
「ハーブティーだよ。最近気に入っていて寝る前によく飲むんだ。精神や感情を安定させ、デトックス効果もあるんだ」
何だか今のあたしにぴったり。
体中の毒素をすべて出し切りたい気分だわ。
しばらくするとトレーを手にしたシャルルが戻ってきた。
透明な二つのにカップに黄金色の液体が煌めいている。
「では、改めて二人の再会に」
そう言ってシャルルがカップを手にした。
まるで乾杯のようね。
一口飲むとふわりと優しい花の香りがした。
「美味しい」
ほんのり甘くて何だかほっこりとする。
テーブルにはいわゆるコース料理が並べられていて、スープは専用ポットからシャルルが入れてくれた。柔らかい牛頬肉や魚料理もちゃんと温かくて驚いた。
「あの銀のやつ、全然冷めてなくて凄いのね」
あたしは感心してテーブルの横のワゴンに片付けられた銀色の彼らに敬意を表した。
「クローシュね」
「そう、クローシュ」
シャルルは呆れた顔をして見せたけど嫌な感じは全然しなかった。
愛おしむようなシャルルの表情にあたしは胸がギュッとなった。
あたしには与えられないものをシャルルは今でも……?
何か他の話題をとあたしはバイトの話を始めた。
「覚えが悪いってバイト先でも良く言われるのよね。おかげで週末も出勤させられたりもう大変!」
じっとあたしの話を聞いていたシャルルが口を開いた。
「そもそもどうしてバイトなんてしてるの?和矢と一緒なら必要なさそうだが」
「二人の記念日に何か買いたいなって思って始めたんだけどさ。和矢のお給料で買うのは違うかなって思ってね」
「そうか」
ぽつりとそう言ったシャルルを見てあたしは記念日の話題なんて出して何だか悪いことをしたような気分になった。
「あ、でももう何でバイトを続けてるのかわからなくなっちゃってるの。帰りが遅くなると不機嫌だし、夕飯にお惣菜を買って帰ったらそれを買うために働いてるのか?なんて言われちゃうし、挙げ句の果てには誰かと会ってんじゃないか?って……」
その時あたしは自分が今していることにハッとした。
「和矢は気が気じゃないんだろう」
シャルルのその言葉にあたしは黙り込んだ。
まさにこうして向かい合ってあたし達は食事をしている。
しかも和矢には何も話してない。
「食事が済んだら送るよ。遅くならない方が良さそうだ。ここへ来ることは和矢には言ってないんだろう?」
「そうだけど」
終わりを告げられた瞬間にポッカリと穴の空くような寂しさがあたしの中でふっと湧いた。
「それに君の体調も万全ではなさそうだからね」
「え?」
「あまり無理をしないように。初期は安静に過ごした方がいいからね。和矢にも早めに話してバイトはすぐにでも辞めた方がいい」
待って、これって。
たぶんシャルルはあたしが妊娠してるって思ってるんじゃない?
「してないわよ?」
「そうなのかい?アルコールを控えたのはそういうことじゃないの?」
「違うわよ。生理痛なのよ。ここ最近は特にひどくて」
するとシャルルは目を細めた。
「最近って?」
あたしは思い返しながら、ここ半年ぐらいと答えた。
薬が合わないのか月経痛もあまり改善しないことも伝えた。
「腰痛は?」
「あるけどそんなの昔からよ。まんが家には多いのよね」
「他には性交痛もあるのか?」
「何よ、いきなり」
何を言い出すかと思えば、やめてよ。
そういう話は人様に言う話じゃないのよ。
「いいから答えて。挿入時に痛むのか?それとも奥の方?」
「何でそんなこと聞くのよ。あんたには関係ないでしょ」
「君が心配だからだ」
つづく