きらのブログ

まんが家マリナシリーズの二次創作サイトです。

あの日の夢を 60

二人だけになった空間は、少し緊張感に包まれていた。シャルルは鋭い目であたしを見つめる。
  
「なんでオレに黙って帰ろうとしたんだ?」  


「言ったら反対するでしょ?」


あたしは言葉を選びながら答えた。


「当たり前だ」


シャルルは前を向いたまま答えた。


「シャルルが家を出なくて済むには、あたしが帰国するのが一番だと思ったのよ」


シャルルの眉がきつく寄る。  


「甘いな。搭乗手続きで滞在期限が切れていることが発覚したら、ビザ取得に不利益になる。最悪の場合、もう二度と取得できなくなるとこだったんだぞ」  


胸の奥がぎゅっとなった。
 
「そうなの?でもルパートは何も言ってなかったから、普通に帰れると思ったの……」  


「ルパートが君のために親切で動いたとでも思ったのか?」  


シャルルはため息交じりに言葉を続けた。
 
「ルパートは君を日本に帰国させ、二度とフランスに来れなくなることも計算済みで、君の話に乗ったんだ」  


あたしは息を詰め、背筋が冷たくなる。  
そんな……。
シャルルは少し落ち着いた声で言った。
 
「ルパートはアルディ家の存続のことしか考えていない。それぐらいわからないのか?」


あたしは震える手を握り返す。  
窓の外に流れる街の景色をぼんやり眺めながら、胸の奥でシャルルの言葉を反芻する。  
怖さと安心が入り混じり、心臓はまだ早鐘のように打っている。  
車は静かに通りを進む。  
あたしは深く息を吸い込み、頭の中の混乱を整理しようとした。


「ごめん。でもなんであたしが空港にいるってわかったの?」


シャルルは少し眉をひそめ、鋭い目であたしを見つめる。


「君が置いていった手紙を見たからだ」


「え……でも、シャルルが出かけた後に置いたのよ?どうして読めたの?」


シャルルはため息をつき、少し険しい表情で答えた。


「パックスの申請手続きを終えて帰宅したら、マリーが君の手紙を渡してくれた。それを見て、君が空港に向かうとわかって、慌てて来たんだ」


「パックスって、あんた、やりに行ったの?」  


思わず声をあげてしまった。
親族会議で反対されたのに?
驚きと戸惑いで胸がざわついた。
シャルルは冷静なまま、でも少し強い口調で言う。  


「オレはやると決めたことは、やる。親族会議の反対だろうが何だろうが関係ない」  
そしてポケットから書類を取り出し、ちらりと見せる。  


「これがなかったら、あのまま不法滞在者になるところだったんだぞ」  


フランス語で書かれた文字はよくわからない。  
でもシャルルの表情から、状況がどれだけ緊迫していたかはひしひしと伝わってきた。


「マリナ、しばらく屋敷には戻らず、パリ郊外に父が所有していた屋敷があるからそこへ行こうか」


「え、でも急に?あたしは良いけどシャルルは大丈夫なの?」


「あぁ。必要な物は持ち出したから心配ない」  


シャルルはハンドルを握ったまま、顎で後部座席を示した。  
昼の光に照らされ、黒いトランクとアタッシュケースが並んでいる。金具が少し眩しく光った。  


「それにパックス申請手続きのコピーを置いてきた」


あたしは軽く眉を寄せる。  


「コピー?どうしてわざわざ……」


シャルルはハンドルを握ったまま、視線を前に据え、静かに答えた。  


「会議の承認を待たず、オレ自身の判断でやった。それを誰にでも明確に示したかった」


その言葉に、胸の奥がぞわりと熱くなる。 シャルルの覚悟の強さを、あたしは確かに感じた。

 


つづく

 

***

長い間、ご訪問いただきありがとうございました😊

この度、60話をもちまして「はてなブログ」への掲載は終了させて頂くことにしました。

やはり読者数が伸びないことが主な理由です。

以下にライブドアのリンクを貼っておきます。

良かったら61話以降も引き続き、お楽しみ下さい。

http://blog.livedoor.jp/kkikirara_0419/

 

 

あの日の夢を 59

翌日11時。
迎えの車に間に合うように、あたしはそっと部屋を出た。  
シャルルはどこかへ出かけていない。だから、誰にも気づかれずに動けた。  
手には小さくまとめた荷物だけを握りしめ、廊下を静かに進む。  
屋敷の前に、黒塗りの車が静かに停まっていた。運転手は軽く頭を下げ、あたしを車に案内する。  


振り返ると、広大な庭、石畳の道、高い窓。いつも見慣れた景色が、今はどこか特別に見えた。  
あたしは深く息を吸い込み、胸の奥に屋敷で過ごした時間を刻む。  
ここでシャルルと過ごした日々、些細な会話、笑い声、手を取り合った夜。すべてが、静かに心に輝いている。  
小さな手荷物を抱えたまま車に乗り込む。  
ガラス越しに屋敷を最後まで見つめ、心の中でそっとつぶやく。  
「また、必ず帰ってくる……」  


車は、静かに街の通りを滑るように進んだ。あたしは窓の外に流れる景色を眺めながら、胸の奥で小さくため息をつく。  
シャルルが無事で、この屋敷にとどまれること。それだけを心の支えにしていた。  


空港に到着すると、運転手が荷物を受け取り、あたしをターミナルまで案内してくれた。  


「マリナ様、ここからは出国審査です。私が通訳しますから」  


あたしは小さく頷く。やっぱり、運転手がそばにいてくれると安心するわ。  
搭乗口に向かう途中、人々のざわめき、スーツケースのキャスターの音、アナウンスの声、すべてが異国の空気を感じさせる。  
あたしは手に握った航空券を確認し、搭乗ゲートへ歩みを進めた。  
チェックインカウンターを過ぎ、保安検査を通過。金属探知機をくぐり抜け、荷物をベルトコンベアに乗せる。  
「次は出国審査です」とアナウンス。  
あたしは少し緊張しながら、パスポートを手に出国ゲートへ向かった。  
ゲートの前で、制服姿の検査員が書類を確認している。  


「あの……滞在期限が切れていますね」  


運転手がすぐに横で通訳してくれる。
  
「検査官が滞在期限が切れているとおっしゃっています」  


心臓がぎゅっと縮む。あたしは言葉を失い、どう反応していいか分からなかった。  
「え……?でも……」  


ルパートは何も言ってなかったから、普通に帰れると思ってた。  
出国ゲートの前で、制服の検査官がパスポートを手に眉をひそめている。  
あたしは思わず手を握りしめ、声が詰まった。
運転手がそっと横に寄り、フランス語で検査官に何か説明する。  
あたしにはわからないけれど、揉めているようだった。
胸の奥がざわざわして落ち着かない。  
どうしたらいいの?


その時、背後で静かにドアが開く音がした。  
振り返ると、シャルルがこちらに向かって歩いて来るのが見えた。  


「シャルル?!」


冷静な目で検査官を見据え、あたしの手を握った。  
そして手に持った書類を検査員に差し出す。  検査官は目を細め、書類を確認すると、一歩下がって控えた。  
あたしは目を見開き、心臓が早鐘のように打つ。  


「え……シャルル、どうして……?」  


焦りと戸惑いで胸がいっぱいになった。 
ルパートが普通に手配してくれたと思っていたのに、こんなことになるなんて。  
あたしの計画は、シャルルに知られずに進めるはずだったのに……。  


「行くぞ、マリナ」  


そのままあたしはシャルルに連れられて空港を出た。  
こんな状況だけど、シャルルが来てくれてあたしはホッとしていた。
でも心臓はまだざわつき、頭の中は混乱のまま。息を整えようと深く吸い込むけれど、気持ちはまだ慌ただしい。  


「待って、シャルル、どういうこと?」  


あたしの声は、混乱と不安が入り混じって震えていた。  
シャルルの表情は冷静そのものだった。
シャルルはあたしの手を握ったまま、運転手に向き直る。


「君はもう帰って良い」


運転手は少し戸惑いながらも頷き、そのままターミナルを後にした。
シャルルは自分の車に向かい、あたしを静かに誘導する。
二人きりになった車内は、静かで、しかし胸の奥にはまだざわつきが残っていた。  
外の街並みがゆっくり流れていく。  
あたしは深く息を吸い込み、頭の中でまだ整理しきれない思いをかき集める。  
シャルルの存在が、ただそこにあるだけで、少しだけ安心を与えてくれる。  
けれど、心はまだざわつき、これから先のことを考えると、胸の奥がじんわりと痛んだ。
日本には帰れなかった。
パックスを結ぶ問題も、シャルルがアルディ家を出る話も何一つ解決していないのにどうしたらいいんだろう。

 

 

 


つづく

 

 

 

 

あの日の夢を 58


ジルに頼めば早いんだけど、それだとシャルルにバレてしまう。言ってもシャルルは絶対に反対する。あたしは考えた末、執事にルパートの連絡先を聞いてみることにした。  


「マリナ様、何かご用でしたら、私からルパート様にお伝えしておきますが」  


そうよね、簡単には教えてくれないか。
  
「それならちょっと相談したいことがあるからあたしに連絡をくれるように伝えて下さい」


「かしこまりました。すぐにルパート様からご連絡が入ると思いますのでお部屋でお待ちください」


あたしは頷き、部屋に戻った。
シャルルは研究所に行っていて今はいない。シャルルが帰ってくる前にどうか電話が来ますように。
そう思っていると程なくして電話が鳴った。  


「私だ。用件を3分以内に言え」 
 
ルパートだ。
相変わらず時間に細かいのね。
あたしは息を整えて、思い切って話した。
  
「ルパート、シャルルがアルディ家を出ないようにしてほしいの」


電話の向こうでルパートが低く笑う。
  
「ふむ……それはお前次第だな」  


あたしは少し考えて続けた。  


「パックスの話で拗れているなら、今はとりあえず一度、日本に帰るわ。それなら急ぐ必要もないでしょ?その間に何か解決できるかもしれないと思うの」  


ルパートの声が返ってくる。  


「そうだな。議会は譲歩しない。このままだとシャルルは当主の座を自ら去ることになり、すべてを失う。だが滞在期限の問題だけならお前が帰国することで一気に解決する」


「そうよね。ただ、お金がないの」


ルパートは鼻で小さく笑った。


「それなら飛行機の手配はこちらでする。明日、11時に迎えの車を屋敷に向かわせる」  


ルパートはそう言って電話を切った。  
あたしは小さく息をつく。  
これでシャルルは、この屋敷で当主のままでいられる。  
あたしは黙って日本に帰るだけ。  
それでいいはず。  
でも、ほんの少しだけ心の奥で、緊張が残った。  
本当にこれでうまくいくのか。  
シャルルの知らないところで動くあたしの判断が、間違っていたら……。  
考えると胸がざわつく。  
けど、今は迷っていられない。  
決めたことは、やるしかない。
気がかりなのはシャルルに黙って帰ることだった。でも相談したらきっと反対される。ビザの取得には時間がかかるって言ってた。でもずっと会えなくなるわけじゃないわ。電話だってできるし、シャルルが日本に来てくれれば会うことだってできる。
そうよ、今はこれしかないんだ。
だから手紙を書こう。
シャルルに少しだけ会えなくなるけど、ビザを取って、また来るから待っててと伝えよう。



その日の夜、食卓に着くと、普段どおりの空気がそこにあった。  
シャルルは今日も変わらず、料理の説明をしながらあたしのペースを気にしてくれる。  
あたしはその声や仕草を胸の奥に刻みつけるように、静かに見つめた。  


「今日の魚は、新しい仕入れ先のものだ。どうだ、美味しいか?」  


あたしは小さく頷き、口元に微笑を浮かべる。  


「うん、とても美味しいわ」  


目の前のシャルルは、何でもないように笑っているけれど、その笑顔があたしには尊くてたまらなかった。  
ほんの少しだけ胸の奥がぎゅっとなる。  
これから少しの間、離れることになるけれど、この屋敷にシャルルがいてくれるなら、それでいい。  
箸を置くたびに、あたしは静かに心の中で呟いた。  


「また、すぐに会えるから……」  


いつも通りの会話、いつも通りの笑い声。 でも、あたしの中では、今日が少しだけ特別な夜になった。  
この静かな時間を胸に抱え、あたしは明日、日本へ帰る覚悟を固めた。  
シャルルに黙ってでも、これが今の最善策。  
あたしが動けば、シャルルは当主のままでいられる。  
その思いだけを胸に、あたしは夕食を終えた。

 

 


つづく

 

あの日の夢を 57


マリナを私室に呼んだのは、会議が終わって間もなくのことだった。  
重たい扉を閉めた後の静けさが、まだ身体の奥に残っている。  
オレは執務机に向かっていたが、廊下から足音が近づくのを聞き、椅子を回して立ち上がった。  
ノックの音。  
「どうぞ」と声をかけると、マリナがそっと扉を開けた。  


「そこに座ってくれ」  


視線を向けると、マリナはわずかに肩をすくめながら部屋に入り、窓辺の椅子に腰を下ろした。  
オレは対面の席を選び、あえて机を挟まず向き合う。  
少し沈黙が流れ、マリナが膝の上で指を絡めながら口を開いた。  


「親族会議を開いたって、聞いたけど本当?」  


オレは軽く息を吐き、静かに頷く。  


「ああ、パックスの件でね」  


「それで、どうだったの?」  


「反対された。誰ひとり賛成はしなかった。まあ、想定通りだ」  


「そう……」  


マリナは視線を落とし、唇を噛む。細い肩がわずかに沈んだ。  


「何も心配しなくていい。ちゃんと手は打ってある」  


「当主だから押し切るとか?」  


「それをするつもりなら最初から親族会議なんて開かないよ」  


「それはそうよね。じゃあ、どうするつもりなの?」  


「認めないならオレはアルディ家を出て、好きに生きると言ったよ」  


はっきりと言葉に重みを乗せて告げる。  
マリナの表情が一瞬で固まり、頬から血の気が引いていくのがわかった。  


「そんな……」  


「これは親族たちへの牽制だ。やつらがどう出るかを見る駆け引きでもある」  


「駆け引き……?」  


「そう。本気で出ていくつもりで言ったが、これは切り札だ。向こうがどこまで譲るかを見極める必要がある」  


マリナは黙ったまま、膝の上で握った手に力を込めた。  


「君のせいじゃない。これはオレの問題だ。オレが君を選んだ。その責任と覚悟を彼らの前で示しただけだ」  


そっと彼女の手に自分の手を重ねる。指先が小さく震えていた。  


「不安にさせたかもしれないが、それでも全部、伝えておきたかった」  


マリナの手の温もりを感じながらも、心の奥では冷たい現実が形を持って迫っていた。  
マリナの滞在許可は、すでに期限を過ぎている。手続きの猶予はあるとはいえ、形式上はいつでも出国を迫られてもおかしくない状況だ。  
だからこそ、早い段階で親族たちが譲歩しなければならない。  
このまま膠着が続けば、オレたちは一度、この屋敷を出るしかない。  
それはマリナを守るためでもあり、オレ自身の選択を貫くためでもある。  
この屋敷を離れることが何を意味するのか。
家名も、権限も、資産も、その瞬間に失うことになる。  
だが、それらを手放しても構わないと思えるほど、マリナを選ぶ決意は揺るがない。 親族会議の席で放った言葉は、脅しでも虚勢でもない。  
オレは本気でそうするつもりでいる。  
残された時間は多くない。  
向こうがどこまで譲るか。
その見極めの刻限は、もう始まっている。  



シャルルの手の温もりが、胸の奥にずしんと落ちてくる。  
シャルルは本気で、牽制って言ってたけどいざとなったら全部を捨てるつもりだわ。
家も、名も、権利も全部。  
あたしには想像もつかないくらいの覚悟で、命さえもかけて、当主の座を守ってきたのに。  
それを、あたしのせいで捨てさせるわけにはいかない。   
すべてを失わせるなんて、そんなの間違ってる。  
とりあえず、今はあたしが日本に帰ればシャルルは守られるはずだわ。
そう思った瞬間、迷いは消えてた。  
でも、帰国するにもお金がない。  
だから、方法を探さなきゃいけない。  
あたしは一度、日本に帰って改めてビザを取ればいい。  
申請が下りるには時間がかかるけど、ゆっくりシャルルとのことも考えられる。  
急いでパックスを結ばなくても、いいんだ。そう思ったら急に希望が見えてきた気がした。
思い浮かんだ名前はひとつ。
ルパート。  
今は日本に帰るって言えばきっと協力してくれるはずだわ。
シャルルには黙っておく。  
これは、あたしが決めたことだから。  


窓の外の空はまだ曇ってた。  
でも、あたしの中ではもう、行く先が決まってる。

 

 


つづく

 

あの日の夢を 56


親族会議を開くと決めたときから、結論はおおよそ見えていた。
取り急ぎでマリナとのパックス、そしていずれは正式な結婚に至ることまで含めて、今のアルディ家で素直に歓迎されると思ってはいない。  
けれど、あえて議題に据えたのは、彼らの前で明言する必要があったからだ。
オレはすでに、選んでいる。  
その覚悟を、一族に突きつける必要があった。
会議は東翼宮・ヴィクトリアホール。  
歴代当主たちの肖像画が並ぶその空間で、オレは筆頭として議席に就いた。
周囲を囲むのは叔父たち。  
ルパート、それにジェラルド、セルジュ。どれも一癖も二癖もある年配の親族たちだ。  
だが、彼らの中にあっても、今のアルディ家で最も発言力が強いのはオレだという事実は変わらない。
オレに向ける視線の中には、無言の警戒と探りが混じっていた。


結果は予想通りだった。  
親族会議は冒頭から冷えきっていた。  
ルパートが「本日の議題は、当主シャルルのパックス締結について」と口にした瞬間、セルジュとジェラルドが揃って息を呑んだのが見えた。  
あの場にいた全員が、オレの狙いを察していたはずだ。  
それでも黙ってはいられなかったのだろう。  
ルパートは「自分の立場を考えろ」と冷静に諭し、セルジュは「馬鹿げたことを」と一蹴した。ジェラルドに至っては「話にならない」と鼻で笑った。  


だが、それこそが狙いだった。  
反対されることも、非難されることも初めから織り込み済みだ。  
彼らがこの議題にどう反応するか、  
それが知りたかったわけじゃない。  
オレは、自分が何を捨てても構わないと思っていることを伝える場を必要としていた。  
だからこう言った。  
「彼女とのパックスを認めないのであれば、オレはアルディ家を出る」


瞬間、議場が凍りついた。  
威嚇でも虚勢でもないと、彼らは理解したはずだ。  
資産管理権が凍結されようと、名を捨てようと、構わない。  
それでも守りたい人がいる。  


会議は混乱の末、一時閉会となった。  
誰ひとりとして、オレの提案に明確な賛成を示す者はいなかった。  
けれど、それは想定の範囲内だった。  
彼らの動揺も、怒りも、反発も。  
すべて、計算済みだ。


重たい扉がゆっくりと開かれ、次々と親族たちが会議場を後にしていく。  
誰もが無言で、目を合わせようともしない。  
セルジュが深く溜め息を吐きながら杖を鳴らし、ジェラルドがその後ろを肩を怒らせて続いた。  
そして最後に残るのはひとり、議長を務めたルパートだけだった。
彼はゆっくりと席を立ち、黙ってオレの方へと歩み寄ってきた。  
その歩みには重みがあった。  
ルパートはしばしオレの目を見つめ、やがて低い声で問うた。


「……本気か?」


オレは静かに頷き、言葉を添える。


「もちろんだ。それだけの覚悟がなければ、この場に立つ資格はないだろう?」


ルパートは何も言わず、ただ目を細めてオレを見つめたまま、ひとつだけ頷いた。  
そして、重い扉が閉じられる音が、会議の終わりを告げた。


会議場には、オレひとりが残った。
ざわついた空気の余韻がまだ壁にこびりついているようだったが、不思議と静かだった。怒号も非難も、いずれ収まる。ただ、それを待つつもりはない。


仮に、このままアルディ家を出ることになったとしても、何も困ることはない。  
資産の大部分はあの家の名義だが、それとは別に、父から譲り受けた個人資産がある。株式、債券、不動産。合わせれば数億ユーロにのぼる。郊外にはいくつかの屋敷があり、パリ市内にも一つ、祖父の趣味で購入された邸宅がある。今は使われていないが、整備すればすぐに住める状態だ。
問題は何もない。  
出ていく覚悟は、本物だ。  
だが同時に、それを切り札として使う計算も、とうに済んでいる。  
ここから先は、オレの言葉がどこまで効くかの勝負だ。
あとは、どこまで向こうが譲ってくるかだ。

 

 


つづく

あの日の夢を 55

さくらが帰国して三日が経った。あたしは食堂に向かうため、マリーと廊下を歩いていた。  
屋敷の廊下は朝の光が差し込んでいるのに、ひどく冷たい空気が張りついている気がした。
ふと、前から二人の男の人影が見えた。  
一人は知らない年配の人。背筋がまっすぐで、黒い杖を持っている。  
その隣を歩く男の顔を見た瞬間、足が止まった。
ルパート大佐……。
あの頃の記憶が一気に蘇り、胸の奥が冷たくなった。
ミシェルと組んで、執拗にシャルルの命を狙っていたものの、ミシェルの失脚で一転、シャルルに付いた男だ。
すれ違いざま、ルパートが小さく笑った。


「また、お前か」


低い声が、首筋をなぞるみたいに冷たく刺さった。  
思わず立ち止まったあたしを、ルパートはちらりと見下ろす。


「恋愛ごっこはもう終わりだ」


吐き捨てるように言って、ルパートは年配の男性と並んで歩き去った。
何も言えないまま、その背中を目で追った。
咄嗟のことで言葉が出なかった。
横にいたマリーが、不安そうにあたしを見た。


「ルパート様と面識があったのですね?」


あたしは小さく笑った。笑うしかなかった。


「ずいぶん前にね」


声が少しだけ震えた気がして、誤魔化すように足を動かす。  
マリーが後ろで小さく呟いた。


「一緒にいらした方は、シャルル様の二番目の叔父、セルジュ様でございます」
  
なんとなく気づいてた。
さくらのことが色々あって、気づいてなかったことにしていた気もする。
シャルルはアルディ家という大きなものを背負っていることを。
胸の奥に嫌な予感がよぎった。


「マリナさん」


名前を呼ばれて振り返ると、玄関ホールの奥からジルが歩いてくるのが見えた。


「ジル? こんな朝早くにどうしたの?」


声をかけると、ジルは少しだけ表情を引き締めたまま近づいてきた。


「実は少し気がかりなことがありまして」


言葉を濁すその様子に、あたしは思わず首を傾げた。


「何かあったの?」


「それは……」


あたし達の横を、一人の見知らぬ男性がルパートたちが向かった方角へ歩いていった。その背中を見送りながら、妙な違和感を覚えた。
微かに肌を撫でるような、不安の気配。


「ねえ、ジル。あの人は誰?」


あたしが小声で尋ねると、ジルもまた険しい顔でその背中を見つめていた。


「彼はアルディ家筆頭親族の一人、ジェラルド叔父様です。親族会議に呼ばれた方です」


親族会議って。
そこで決まったことはフランス共和国の法律よりも優先されるって前にルパートが言っていた。


「恋愛ごっこはもう終わりだ」


――ルパートの冷たい声が、今になって胸に突き刺さってくる。
あれはただの嫌味じゃない。  
何かを知っていて、あたしに向けて突きつけた警告のようだった。
まさか、あたしのことが議題に?
嫌な想像が頭をよぎる。  


「……ねえ、ジル。親族会議って、何が話し合われるの?」


ジルは少しだけ足を止め、声の調子を落として言った。


「通常は、家の継承や政略的な取り決めなど、ごく限られた重要事項だけです。アルディ家の中でも、限られた血族と当主、そして筆頭親族のみが出席を許されます」


「場所は?」


「東翼宮です。ふだんは閉じられたままですが、今日のように一族が集まる日だけ、扉が開かれます。マリナさんはご存じありませんでしたね。あちらは客人が通される区域ではないので」


「……何が、決まるの?」


ジルはすぐには答えなかった。けれど、その沈黙がかえってすべてを物語っていた。
あたしの胸が、きゅっと音を立てるように痛んだ。


「もしかしてあたしのこと?」


「マリナさん」


ジルの声が少しだけ強くなった。


「まだ何も決まっていません」


胸の奥が重く締めつけられるような気がした。


「ねぇ、ジル」


あたしが声をかけると、ジルはすぐに反応した。そっと目をやると、マリーはすぐに理解し、小さく会釈して立ち去る。


「少し歩きますが、大丈夫ですか?」


そう前置きして、ジルは屋敷の東側へと足を向けた。  
言われるままに彼女のあとをついていくと、歩きながら、ジルはぽつりと口を開いた。


「会議は、東翼宮のヴィクトリアホールで開かれます。アルディ家の重要な決定ごとは、すべてそこで話し合われるのが通例です」


「そんな場所があるのね」


「ええ、親族の中でも限られた者しか入ることはできません」


ジルの言葉に、ほんの一瞬だけ沈黙が流れた。重々しい空気を振り払うように、彼女は歩調を緩める。


「この廊下の突き当たりが書庫です。少し静かな場所でお話ししましょう」


彼女の手によって扉が押し開かれた。  
書庫の中はひんやりとしていて、昼でも照明が灯されていた。  
何段にも重なる書棚の間を抜けて、ジルは小さな丸机の前に立ち止まる。


「どうぞ、こちらに」


椅子を引いてくれたジルに軽く礼を言って、私は腰を下ろした。


「親族会議では、マリナさんとのパックス締結が議題となります。ですが、全員が賛成に回るとは限りません」


「そうよね」


ジルはうなずいた。


「ルパートをはじめとする保守派の方々は、婚姻やパックスに非常に慎重です。特に後継者に関する問題となると、なおさら。反対意見が出る可能性は、十分にあります」


不安が胸の奥を押し上げていく。 
けれどジルの言葉は続いた。


「ですが、シャルルも何か考えがあるはずです。承認される見込みがあるからこそ、会議の招集を決断したのだと思います」


彼女のその言葉が、わずかに冷えた指先に灯をともすようだった。


「そのパックスが認められなかったら……」


あたしの声は自然と小さくなった。


「どうなるの?」


ジルはほんの一瞬、言葉を選ぶように黙ったあと、慎重に答えた。


「親族会議で否決された場合、現状では滞在の正当な理由が失われます。その先は、あまりにも理不尽です」


「強制退去ってこと?」


「シャルルなら最悪の事態もすでに想定しているはずです。何も準備せずに会議に臨むとは思えません」


その言葉に少しだけ救われたけど、不安が消えたわけじゃなかった。  
シャルルはどうやって、この不可能を乗り越えようとしているんだろう。

 

 

 


つづく

 

 

 

 

あの日の夢を 54

ジルにもこのことを伝えておくべきか。  
親族会議の招集、パックスの件、そして何より、これから待ち受ける厳しい現実について、情報は共有しておくべきだ。
オレは手元の電話機に手を伸ばし、内線番号を押した。数秒後、軽やかな呼び鈴が向こうから聞こえてくる。


「ジルか。執務室まで来てくれ」


「わかりました」


短く告げると、間もなく廊下を進む足音が聞こえた。  
その音に、どこか自分の心臓の鼓動が重なった気がした。
執務室のドアが静かに開き、ジルが入ってくる。


「何かありましたか?」


オレは席を立ち、ゆっくりとジルを迎えた。


「ルパートに、親族会議の緊急招集の手配を頼んだ」


ジルの眉がわずかに動いた。


「議題は何ですか?」


「マリナと、パックスを結ぼうと思う」


わずかな間。ジルの顔に、一瞬だけ表情の揺れが走った。  
けれどすぐに、いつもの冷静な顔に戻る。


「会議で否決される可能性が高いのでは?」


オレは頷き、机の端に片肘をついた。


「それでも、やるしかない。マリナの滞在資格を守るためには、もう他に道がない。パックスなら、結婚よりもハードルが低いはずだ」


ジルは考え込むように視線を落とし、ややあって口を開いた。


「確かに、その通りです。法的な手続きも簡易ですし、医療ビザの延長では限界があります。パートナーとして登録できれば、滞在資格の問題は一応、解決できます。ですが……」


言い淀んだその続きを、オレは先回りして口にした。


「親族会議が黙ってはいない、ということか」


「ええ。特にアルディ家のような血統を重んじる一族では、話は別です。特に当主であるシャルルが結ぶとなればなおさらです」

「やはり、反対意見しかないか」

オレは視線を落とした。

「マリナさんの背景を考えれば、否決される可能性が高いです。血統主義の家系では、婚姻やパートナーシップが政治的な意味も持ちます。親族の中には強硬に反対する者も多いでしょう」

「ならば……」

オレは拳を握り締める。

「どう対抗するか、策を練るしかないか」

「否決された場合のリスクも大きいですから、万全の準備が必要です」

ジルの言葉に、オレの胸に緊張が走った。
けれど、あきらめるわけにはいかない。

「オレもそう思っている」

沈黙が一瞬だけ訪れた。
ジルは声を潜めて言った。

「何か策はあるのですか?」

オレはすぐには答えず、少しだけ視線を逸らした。

 

つづく