きらのブログ

まんが家マリナシリーズの二次創作サイトです。

君と蒼い月を 2

夕飯には冷蔵庫にあった野菜と少しの豚肉で中華丼と卵スープを作った。
家賃も含めて生活費はすべて和矢が出してくれていた。それこそ編集部に行く交通費や原稿用紙代までも。
さすがにそのぐらいは自分で出さなきゃと思ってバイトを始めようと思った。
和矢は週末が休みだから平日の昼間、週に二日程度なら問題ないだろうと考えながらあたしは和矢の帰りを待った。
ところが19時半を過ぎても和矢は帰って来ず、あたしはソワソワし始めた。
面接の時間に遅れて行くわけには行かない。でも何も言わずに出かけたらきっと心配するわよね。
お店までは歩いて15分。
そろそろ出ないと間に合わない。
仕方なくあたしはアルバイトの面接に出かけてくるとメモを残して家を出ることにした。
面接が始まるとすぐに店長は勤務時間の話を始めた。
今は平日の昼間だけ働きたい人は取っていなくて、でも週末の夜に少しでも出られるならすぐに採用するし、昼間も入れるよと言われた。
さすがにこの場では決められないと伝えると、あたしの後にも二人ほど面接があるから枠がなくなる可能性があると即決を迫られた。
週末は時給も平日よりも高くなるらしく、決して悪い話じゃない。土日のどっちかだけ、しかも数時間だけなら和矢もいいって言ってくれるだろうとあたしは迷いながらもOKした。

「じゃ明後日11時に来られる?」

今日が火曜だから木曜ね。

「はい」

すると店長は頷くと契約書に必要事項を記入しながらこれから一緒に頑張ろうと声をかけてくれた。

「これからよろしくお願いします」

日頃、編集部に行っても足蹴にされることが多く、一緒に頑張ろうなんて言われたあたしは少し浮かれた気分で家へ帰った。

「ただいま」

玄関を入ると和矢はまだスーツを着ていて帰ってきたばかりのようだった。

「お前おっちょこちょいだから買い忘れでもしたのか?」

そうか、和矢はまだあたしのメモを見てないんだ。

「バイトの面接に行ってきたのよ」

「バイト?なんで?」

スーツを脱ぎながら和矢があたしを振り返った。

「ほら、原稿用紙代とかまで和矢に出してもらうのは悪いなって思って」

それに二人の記念日にはお揃いのマグカップとかも買いたい。
でもこれは内緒にしておこう。
すると和矢は「そうか」と小さく言うだけだった。

「近くに中華のファミレスがあるでしょ。そこなんだけど木曜から行くことに決まったの。昼間だけだし、土日はどっちかだけだから良いよね?でさ、そこの店長がね……」

「悪い。俺、明日は早いから風呂入ってきていいかな」

「あ、うん。じゃ、すぐに食べられるようにご飯温めておくね」

「飯は済ませてきたからいいや」

「そうなの?」

初めてのことだった。
なんでもお父さんの古くからの知り合いの取引先の社長さんに誘われたらしく、断れなかったらしい。
だったら連絡くれればいいのにと思いつつ、仕方ないかと、あたしは一人で中華丼とスープを温めて食べた。
ひと味足りない。
何を入れれば美味しくなるだろう。
そんなことを思いながら食べ終えた所で和矢がお風呂から上がってきた。

「明日早いって何時に出るの?」

「5時半かな。マリナは起きなくてもいいから。じゃ、おやすみ」

そういうと寝室に消えて行った。
話足りない気持ちはあったけど、和矢だって早起きしなきゃいけないから仕方ないわよね。
あたしはさっとお風呂を済ませ、和矢を起こさないようにそっと隣に潜り込んだ。
いつもとは違って和矢は壁の方を向いて眠っていた。
和矢に背中を向けられて眠るのは初めてかもしれない。
普段はあたしが先に寝ちゃっているせいね。
少し寂しく思いながらもあたしはすぐに眠りに落ちた。

 

つづく

 

 

君と蒼い月を 1

 

「すいません。時間なので上がってもいいですか?」

店長は時計をチラッと見ると無表情のままで言った。

「ゴミぐらい捨ててって」

「はい」

あたしは急いで厨房内のごみ箱を交換してごみ庫に捨てに行った。
鉄扉を開けると外はムワッと纏わりつくような暑さだった。
申し訳程度についているエアコンは厨房内ではほとんど意味がない。
汗で体中がベタついて気持ちが悪い。
辞めようと思いつつも今日も言い出せずに終わった。

「すいません、お先に失礼します」

忙しく働く店長とバイトの人達に声をかけ、あたしは厨房を後にした。

「まだあんなに皿溜まったままじゃん」
「週末に時間で帰るとかありえねぇ」
「仕事もできないくせに帰るのだけは早いよな」

そんな言葉が後ろから聞こえてくる。
週末の夜9時はいつも慌ただしく、上がりの時間になっても自分から言わないと帰らせてもらえない。

「気にしない方がいいわよ。時間なんだし、キリがないもの。だいたい人が少なすぎるのよ」

更衣室に続く通路で立花さんが声をかけてきた。立花さんはあたしの3つ上の先輩でホールを担当しているバイトリーダー。
みんなのお姉さん的な存在の人。

「いえ、全然片付いてないのに帰らなくちゃいけなくて本当にすいません」

「彼氏さん、時間に厳しいんだったよね」

「少しだけですが」

「そうだ、ちょっと待ってて」

そういうと立花さんはロッカーから鞄を出して小さな袋をくれた。

「この間、風邪で休ませてもらった時に池田さんも出てくれたでしょ?ほんの気持ちなんだけど、よかったら彼氏さんと食べて。デパートでフランスフェアっていうのをやってて美味しそうだったから買ってきたの」

見ればポップに描かれたエッフェル塔がプリントされた可愛いらしいクッキーの袋だった。

「すいません、わざわざありがとうございます」

「引き止めちゃってごめんなさいね。じゃ私は戻るわね。池田さんも気をつけて帰ってね」

そういうと片手を上げて立花さんはホールに戻って行った。
あたしが帰るのを見てわざわざ来てくれたんだ。
帰ったら一緒に食べよう。
滅入る気持ちを振り払い、あたしは急いで家に帰った。
アパートの前まで行くと人影が見えた。
端正な横顔が街灯に照らされながら、真っ直ぐにあたしの方を見据えている姿にゾクっとした。
あたしは駆け寄り、声をかけた。

「どうしたの、和矢?」

「今日は9時までだったろ?遅いから迎えに行こうかと思ってたとこ」

思わずあたしは腕時計を見た。
まだ9時半を少し過ぎたところだった。
お店までは歩いて15分。
そんなに遅くないと思うけどな。

「前に話した立花さんって覚えてる?その人が……」

あたしは慌てて遅くなった理由を話そうとした。だけど和矢はあたしの話が聞こえてないのか、辺りを気にする素振りをみせた。

「どうかした?」

「いや、なんでもない」

そういうと和矢は黙ったまま歩き出し、階段を上がって行く。
あたしもそれに続いた。
あたし達が同棲を始めたのは三ヶ月前。
まんが家の仕事が全然来なくなり、四ヶ月の家賃滞納した段階でアパートの強制退居を告げられた。
その時に和矢から一緒に暮らさないかと言われたのがきっかけだった。
和矢は大学を卒業し、4月からお父さんの会社で働き始めていた。
まずは現場を見て学べ、と営業部に配属されたばかりだった。
そんな大変な時期に本当にいいの?と聞くと、

「家に帰っても社長がいるってのは息がつまりそうだしな。俺も自立したいしさ」

和矢は参ったという顔をしてたけど、それはあたしが負担に思わないようにって気遣ってくれたんだと思う。
和矢のお父さんは優しそうな人だから絶対に息が詰まるなんてことはないと思った。
選択の余地がないあたしはそんな和矢の優しさに甘えることにした。
二人であちこちの物件を見て回り、どの部屋にしようか、カーテンは何色にしよう、ソファはどれにしようかと買い物に出かける度にレストランやカフェに立ち寄り、あれこれと話をし、まさに新婚気分だった。
和矢が仕事に行くと、あたしは家事を済ませてまんがを描いて過ごした。
和矢に頼ってばかりはいられない。
だけど編集部への持ち込みはするものの、ストーリーが古い、主人公がパッとしない、整合性が取れていないと指摘は厳しく、一向に仕事に繋がる気配すら見えずにいた。
そんなある日、編集部からの帰り道であたしは近くにある中華料理チェーン店のアルバイト募集の看板を目にした。
とりあえず中へ入ってみた。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

女性が笑顔で迎えてくれた。
いきなり入ったのはまずかったかしら。
完全にお客さんだと思われている。

「あの、外のアルバイトの看板を見たんですが」

おずおずと答えると女性は少しお待ち下さいと言って中へ入って行った。
初めて入ったお店だったけど、明るい店内に静かなBGM、働く人達は活気があってとても良い雰囲気だった。
しばらくするとさっきの女性が戻ってきた。

「今ちょっと混み合っているので、夜の20時にまた来られませんか?」

和矢が帰宅するのはだいたい19時頃。
帰ってきてすぐに入れ違いで出かけるのは抵抗があったけど、ここで断ったら融通が効かない奴だと思われて落とされるかもしれない。
あたしは迷いながらも来られると答えた。

「では20時にお待ちしております」

「はい、よろしくお願いします」

こうしてお店を後にした。
これが最初の間違いだったのかもしれない。

 

つづく

 

新年のご挨拶

みなさま、遅くなりましたが明けましておめでとうございます。
いかがお過ごしでしょうか。
私は長い間、更新もせず、潜っていました。以前どこかでお知らせしたかと思いますが職場が代わり、バタついておりました。いわゆる異動ですが、やっと一息つくことができたかな。
しかし活動の方は停滞しています😅
さっき少しだけ続きを書いていましたが、時間が空いているせいもあり、やっぱりブレますね。
仕事が落ち着く兆しはあまりなく、どうなペースで書けるかは今のところ未定です。
なので、ふと思い出した時にでも覗きに来て下さったら新作を出しているかもしれないので、たまに遊びに来てくださると幸いです😊
当初の予定通りバースデーに向けてスタートできればと考えてはいますが、何とも言えないところです。
なんせあまり書けてない💦
気長にお待ちいただけたらと思います。


みなさまにとって今年も良い一年でありますように✨

 

 
             きら

あとがき

みなさん、こんにちは。
 
「いつかの君を忘れない」いかがだったでしょうか?
というか、最後の最後に27話って!💦
28話じゃん…今、気がつきました。


中盤で更新ペースが落ちましたが、近年では稀な(そこまで?!😂)ハイペースで書けた作品だったんじゃないかな…と思ってます。


このお話はずっと前から書きたいと思っていたものでした。
踏み出すのに数年寝かせていたかな。
二人の想いが通じ、シャルル自らの手で手配した飛行機でマリナちゃんを一人きりでパリに来させることになり、そして…。
マリナちゃんを失い、必死にその行方を探すシャルル。この部分が苦しければ苦しいほど、後にマリナちゃんが見つかった時、シャルルは救われるのではないかと。
ただ、そこへ行くまでにシャルルを苦しめる展開を書かなきゃいけないという苦行😭でした。
事故を知り、悲しみに打ちひしがられている中でのマリナ父の登場。
追い打ちをかけるように次々と浴びせられる罵声…。みなさんが引かないかと心配しましたが、最後まで付いてきて下さり本当にありがとうございました。


前半部分ではマリナちゃんを必死に探し、後半部分ではマリナちゃんの記憶を求め、シャルルにとって何が幸せなのかと。
生きていてくれたこと、これはもう何より嬉しかったのではないでしょうか。
心が救われたと言っても過言ではないはず。
私は何よりここを書きたかった!
何日も海上を海中をそして近隣の島を探し歩き、心が壊れそうになりながら、何度も諦めかけ、それでも探し回って…って。
私の中での浄化のような物でした。


そして記憶を失くしてでも再び心を開き、マリナちゃんが自分を好きになってくれたこと。
何度でも恋に落ちる。
たとえ全てがリセットされたとしてもまたマリナちゃんは同じようにシャルルを好きになる。
人を好きになるのってタイミングや状況も関わってくると思うのでなかなかの確率なんじゃないかと。
それでもマリナちゃんが本能でシャルルを嗅ぎ分けるイメージでした😅
ただ、これだとモヤモヤが残りますよね。
やっぱり最後はすべて思い出して王道のハッピーエンド❤️
これしかないと最初から決めていました。
「小さな好き」でシャルルのそばにいてしまうとこだった!と作中でマリナちゃんが言ってましたが、シャルルの頬が思わず緩んだ瞬間だったのではないかな✨


それにしても最近は20話ぐらいの話が多かったので久しぶりに長く書いたな〜。
スタート当初は仕事が落ち着いていたのもあって結構しっかりと時間が取れたので勢いを無くすことなく一気に書けました。
今後ですが、また仕事に追われる日々が続きそうです。
ゆっくりとテーマを考えて準備ができたら始めようと思っていますが、まだ何も考えていません。
いつスタートできるかわかりませんが、時期についてはTwitter(X)等でまたお知らせ致します。
それではみなさん、またお会いしましょう❤️

 

 

いつかの君を忘れない 28最終話

車の窓から建物が見えてきた。
オレはシートから体を起こし、それを見上げた。
外観は悪くない。


「今年の夏にオープンしたばかりで、すごい人気らしいですね。海外からもお忍びで泊まりに来る方も多いとか。お客さんも有名なモデルさんか何かですか?」


「……」


「い、いえ、違います」


タクシー運転手の話にオレが無反応でいると、マリナがあわてて相槌を打った。


「ちょっと、気まずいじゃない。答えるぐらいしてよ」


マリナはオレを肘で小突くと小さな声で言ってきた。


「話す必要などあるか?」


「話しかけられたら普通は答えるでしょ」


小声でのやりとりの後、マリナが言うならとオレは仕方なく口を開いた。


「ヨーロッパを中心に展開してきたが、市場をアジアにも広げることになり、その先駆けとしてまずは東京にと考えた。我がアルディグループのホテル部門はより洗練されたサービスと一つ上を行くラグジュアリーな空間提供によって人気を博しているようだな」


「……」


車内に沈黙が広がった。
運転手は恐縮し、それ以降は話しかけてこなくなり、マリナは隣で深いため息をついた。


**


正面玄関を入り、そのままエレベーターへ向かった。
20階のボタンを押すと、マリナが意外そうに言った。


「あんたの事だから最上階かと思ったけど違うのね」


「泊まるのはもちろん最上階スイートだけど、その前にキーをもらわないとね」


「だったらロビーは一階にあったわよ」


その時、ポーンと柔らかな音が到着を知らせた。ベルを一つ鳴らしたような鋭い音とは違う。これはオレのこだわりだった。
心地良さの扉はあくまでも温もりを感じさせるものがいい。


「いいから、おいで」


目の前に広がるラウンジ空間にオレは一つ頷き、歩みを進めた。
支配人が一礼をしてオレ達を迎えた。


「アルディ様、ようこそ起こし下さいました。支配人の楠木と申します。あちらのブースでご案内等させて頂きます」


対応も悪くない。
オーナーのオレに対しても、変にへりくだる様子も見せず、心からの感謝を見せた。


「アルディだ。案内は結構だ」


「かしこまりました。こちらがルームキーでございます。それではごゆっくりとお過ごし下さいませ」


案内は不要だと告げるとすぐさま身を引くあたりはさすがだな。
再びエレベーターに乗り込み、最上階を目指す。


「上位客はあの特別ラウンジのブースでチェックインをするんだ」


「一階のフロントで順番を待ってするんじゃないのね」


「下でも順番待ちはないよ。すべてオンラインで管理させているから入り口でスマホをかざせばルームキーが自動で発行され、完了だ」


「ハイテクねぇ」


「待ち時間ほど無駄なものはないからね」


ポーンと再び到着を知らせる音が鳴り響いた。敷き詰められた上品な青色の絨毯に金の刺繍が天空を想起させた。
カードキーをかざし、中へ入った。
悪くない。
ざっと中を見渡しているとマリナは大きな窓の外に広がるテラスに吸い寄せられるように駆け出した。


「何これ、すごーい!」


ウッドデッキが一面に敷かれ、ソファとテーブル、その周りには植物と調度品、そして揺らめくキャンドルの光がとても幻想的だった。
大きな窓を全開にすると、リビングと一続きとなり、一気に開放的になった。


マリナの両親はオレ達の結婚を認めてくれた。事故以降のオレの行動を見て、どれほどオレにとってマリナが大切なのかを理解してくれたようだ。
そういう男にだったら遠く離れた外国でもマリナは幸せになれるだろうと父親は語った。マリナの記憶が完全に戻ったことも大きな要因だったのだろう。
マリナは記憶を失ってもなお、再びオレに恋をしたと父親に話した。
何度でも自分はシャルルを好きになると、それだけ愛しているとマリナが言った時、父親の表情は穏やかなものへと変わった。


「シャルル、あっちにプールがあるわよ!」


大はしゃぎなマリナの元へ行き、その腰に手を回した。オレを見上げるマリナの髪が風に揺れた。


「お気に召したかい?」


「うん、とっても素敵」


「それは良かった。ところで一つ聞きたいことがあるんだが」


「何?」


キャンドルの灯りがマリナの頬を照らした。


「正直、君に見せるか迷ったんだが」


以前ルパートが持ってきたマルクとの逢瀬を映した写真を取り出した。
二人の間に何かあっても仕方がないとも思っていたが、これから先のこともある。
マリナは写真を手に取り、慌てたようにオレを見た。


「何これ?!」


「親族の誰かが撮ったらしい。それで君のことは諦めて早く結婚相手を選べと言われたんだ」


「あたし、マルクとキスなんてしてないわよ?あっ……!もしかして、これ、マルクと中庭で話してた時に目に虫が入っちゃって、それでマルクが見てくれてた時だわ!うそっ……誰よ、悪意に満ちた角度で撮ったのは!」


虫?
やはりそういう類の物だったか。
キスぐらいとは思っていたが、オレは自分が思っていたよりもホッとしているようだった。


「君とのことをよく思っていない連中の仕業かな。さすがにオレも鵜呑みにはしなかったが、結婚のこともあるからね。はっきりさせておこうと思って」


「はっきりって、あたしは何もしてないわよ?」


「そうじゃなくて、これを撮った奴をだよ。こういう奴が今も屋敷の中にいると思ったら安心して家を空けられないからね。オレ達の結婚に異議のある奴は排除するだけさ」


「反対してる人、多いの?」


「いや、一部の血統主義の保守的な連中だけだ。オレは君以外と結婚する気はないと前から言っているし、奴らもわかっているはずだ」


「シャルル、大変じゃない?」


心配そうにマリナがオレを見上げた。


「全然。何も心配はいらないよ。反対するなら潰せばいいだけさ。オレは君に嫌疑がかかったことを晴らしたかっただけだ」


「シャルル……」


マリナに向き合い、ポケットから小さな箱を取り出した。


「これから先、アルディの名が重いと感じることがあるかもしれない。それでもオレは君と一緒にいたい。すべてのものから君を守ると約束する」


言いながら箱からリングを取り出し、マリナの手を取った。


「結婚しよう、マリナ」


薬指にそっと嵌めてやると、マリナはそれをしばらく見つめ、それから顔をくしゃっとさせた。


「泣きそうになるじゃない。あんた格好良すぎよ」


「それは生まれつきだから仕方ない」


瞬間、マリナは膨れっ面をした。


「少しは謙遜しなさいよ。あたしだけがこの風景とあんたの美貌に置いてけぼりになっちゃってるじゃない」


ごちゃごちゃ言ってるマリナを引き寄せ、唇を塞いだ。
マリナが静かになったところで唇を離した。


「返事は?」


するとマリナは頬を赤くしたまま、オレを見上げた。


「ありがとう」


「それは指輪の礼?」


「違うわよ。あたしを選んでくれてありがとうってこと」


「それはオレのセリフだな」


数々の男達の心を鷲掴みにし、本人はそれに気付いてるのか、気付いていないのか。
そんな中でオレが勝ちとった勝利だ。
マリナの体を抱き上げ、部屋の中へと歩き出した。


「きゃっ、急に何よ」


「もう、限界だ」


「え?何が?」


「それをオレに言わせる気かい?」


「あっ……」

 


fin

いつかの君を忘れない 27


フラッシュバックは疑似体験だ。 
映像として再現される場合もあれば、その時の恐怖心が蘇る場合もある。
オレはマリナの体を強く抱きしめた。


「大丈夫だ。落ち着いて」


するとマリナは首を左右に振った。


「ちがうの。ごめんね、シャルル。ずっと辛かったよね?」


まさか……!
鼓動が早まり、体中の血が一気に駆けめぐるかのようだった。


「思い出したのか?!」


顔を上げたマリナは大きく頷いた。


「思い出したわ。何もかも。シャルルがあたしを忘れちゃったらって、和矢みたいにって思ったら、急に頭の中にいろんな事が溢れてきて」


息をするのも忘れてしまうほどの戦慄が走った。これまで何度、夢に見たことだろう。
すぐに言葉が出てこなかった。
目の奥に熱いものが込み上げて来て、堪らずに上を向いた。


「泣かないで」


マリナの手がそっと伸びてきてオレの頬に触れた。
堪えていたはずの涙は止まることなく、知らぬ間に頬を濡らしていたのだ。


「どれだけあんたが苦しい思いをしたのかって思ったらあたし、本当にごめんね」


マリナの瞳がオレを優しく見つめている。
これまでよりもずっと温かい眼差しだった。


「オレの方こそあの便を、あんな物を君に用意してしまった」


「でもちゃんと見つけてくれたわ。それにあたしは頑丈だもの。あれぐらい平気よ。あんたに会うまでは死ねないもの」


事故以来、オレが自分を責め続けていたことをマリナはわかっているんだ。
だから何でもないことだとオレを必死に慰めようとしてくれているんだ。
だとしてもオレは謝りたかった。


「それでも君に恐怖を与えてしまった。本当にすまなかった。それに比べたらオレの痛みなど小さなものだ」


するとマリナは優しく微笑んだ。


「小さいはずないわ。あたしが怖かったのは落ちる時の一回だけよ。でもあんたはあたしが死んじゃったかもしれないって恐怖と、自分のことを一生思い出さないんじゃないかって恐怖と二回も経験したはずよ。だったらあんたの勝ちだわ。あ、でもあんたに見限られたかもって勘違いしたこともあったから、おあいこかな?」


その瞬間、オレはマリナの唇にキスをしていた。再開してからも、思いが通ってからもずっと封印していたそれを解き放った。
拙いながらもマリナは応えてくれた。
ゆっくりと唇を離すと、少し照れた顔でマリナがオレを見つめていた。


「オレを生かすも殺すも君次第だ。もうあんな思いは二度とさせないし、したくない」


「二度とないわ。だってあんたがそばに居て守ってくれるんでしょ?」


「あぁ、もちろんだ」

 


**


プライベートジェットの最奥にあるベットルームでマリナと並んで横になった。
当初は手前のソファベットでオレは眠るつもりだったが、マリナがオレに隣にいて欲しいと言い、オレにそれを拒む理由などなかった。


「全部思い出す前もあたしは確実にシャルルを好きになっていたわ。まさか本当にあんたの予言通りになるとは思わなかったけど」


「あぁ、オレに恋をするってやつ?」


「そう!今思えば、あんな風に言われたのも二回目だったのね」


くすっとマリナが笑った。
屋敷を追われ、二人で逃げ出したばかりの頃のことか。
あの時もオレを好きにならせると確かにオレは言った。


「オレはやると言ったらやるからね」


「すごい自信」


「そりゃ君に二度も好きと言わせた男だからね」


すると上を向いて寝ていたマリナがオレの方にコロンと体を転がしてきた。オレはそれを受け入れるようにマリナの頭の下へと腕を差し出した。


「でもね、思い出した瞬間、好きの重さが違いすぎてびっくりした。あたし、こんなにシャルルを好きだったんだって。思い出せて本当に良かった。じゃなかったら小さな好きでシャルルと居ることになってたんだもん。もったいない」


オレはマリナに顔を寄せ、額を合わせた。


「君はオレに誓いを破らせたいのかい?」


「何よ、誓いって」


「君のご両親に認めてもらうまでは君には手を出さないって誓い」


「え?いや……そんなつもりは全然」


急にしどろもどろになるマリナが愛おしい。


「オレは君が思い出してくれたってだけで狂いそうなのに、オレを好きな重さに驚いたなんて聞かされたら、もう理性なんてどこかへ行ってしまうよ?」


「だめよ。そういうことしてる時に何かあったらどうすんのよ?服着て逃げるんじゃ時間がかかっちゃうわ」


「その時は君だけシーツに包んで飛ぶさ」


するとマリナは目を白黒させた。


「あ、あんたは裸で飛ぶの?!」


「したことはないが、案外自由を感じられて良いかもね」


オレは体を起こし、マリナに覆い被さるように口づけをした。
マリナはオレの侵入を拒むように口を閉じた。それならばと耳元に唇を寄せた。
耳の弱いマリナはすぐに力が抜けた。
すかさずオレは緩んだ唇へキスをした。
柔らかなマリナの舌を絡めとる。
マリナから漏れ聞こえる吐息に自身を見失いそうになった。
さすがに歯止めが効かなくなると感じて唇を離した。
するとマリナは少し意外そうにオレを見た。
それはまた名残惜しそうにも見えた。


「もっとした方が良かった?」


「ばか……」


恥ずかしそうにそう言ったマリナに本気で理性が飛びそうになる。


「じゃ、電気を消すよ?」


「あ、あの時と同じ……」


「そうだった。君は明かりを消した途端にいびきをかくんだったな」


「ガオーッ」


つづく

いつかの君を忘れない 26

マリナとの訓練も何とか終え、いよいよ明日は日本へ発つ。なかなか上達しないマリナに根気よく付き合い、これなら何とかなるだろうという段階まで何度も練習した。
マリナ自身に不安が残ったままでは意味がないからだ。
万全の状態で日本に行くと決めていた。


 
緊急時の装備の最終チェックが終わり、部屋に戻るとマリナがソファで眠っていた。
時間をかけ過ぎたか。
待ちきれずに寝てしまったようだ。
マリナが不安にならないような準備と、マリナに何かあった時のために治療に必要な物をすべて準備していたからだ。
マリナを部屋まで運ぶか悩んだが、起こしたら可哀想だと思い、そっと抱き上げてオレの寝室に運んだ。
起こさぬようにふわりと布団を掛けるとマリナは猫のように体を丸めた。
オレのベットに横たわるマリナを見るのは初めてだった。
自分を落ち着かせるように深呼吸をする。
マリナの両親に認めてもらうまでは潔白であろうと決めていた。
サイドボードの引き出しから木箱を取り出した。
マリナの母から預かった物だ。
あの時は遺体の鑑定に使用すると借りたが、本当は再生医療に利用するつもりだった。
オレの生涯をかけてでもマリナを蘇らせる。そんな非道徳的な夢物語をオレは現実にしようとしていた。


「シャルル」


「起こしてしまったか」


振り返るとマリナはスヤスヤと眠ったままだった。
寝言か。
オレの夢を見てくれているのか。
髪を撫で、額にキスを落とした。
オレは木箱を手にリビングへと戻った。
マリナの両親に認められたら、その時は迷わずマリナをオレの物にする。


翌日、朝食を済ませたオレ達はアルディ家のエアポートへ車で向かった。
パリ市の北東に位置する小麦畑に囲まれたそこは、ミシェルと争っていた時にも使ったあの場所だ。
滑走路へ向かう間もマリナの様子に注意を払った。何かあればすぐにでも中止にするつもりだった。
ジェット機はエンジンをかけた状態でオレ達の到着を待っていた。
轟音の中、タラップへとマリナを誘導した。
マリナは緊張しているのか、いつもより口数が少ない。


「大丈夫?」


「う、うん」


どんなに脱出時の装備を整えたとしても事故に遭った恐怖は拭えないはずだ。
やはりオレだけで行くべきか。


「無理してない?」


「怖くないって言ったら嘘になるけど、シャルルが一緒だから大丈夫よ。それよりもシャルルを一人で行かせて、それでもし何かあったら、もしあたしのことを忘れ……」


マリナはそこで言葉を詰まらせた。
記憶を失くしたことに今もマリナは負い目を感じている。
そこまで言うならやはり連れて行く方がいいのかもしれない。


「あ……」


マリナが小さく声を上げた。


「どうした?」


オレの問いには答えず、マリナはオレの手を強く握ってきた。
事故当時のフラッシュバックか。


「マリナ、今ならまだやめられる。ここで無理をする必要はない」


空中を見据えたまま動かないマリナを諭すように優しく語りかけた。
やはり回避行動の類が現れたか。
これは自身の身を守ろうと本人の意思とは関係なく出る防御反応かもしれない。
するとマリナがゆっくりとオレを見上げた。
その目は今にも涙が溢れ出しそうだった。


「マリナ、やはり今日は中止にしよう」


そう声を掛けた途端、マリナはオレの胸に飛び込んできた。


「シャルル!」


つづく