きらのブログ

まんが家マリナシリーズの二次創作サイトです。

君と蒼い月を 4


翌日、あたしが起きると和矢の姿はもうなかった。昨夜は会話もないまま、互いに背中を向けて眠った。寂しさと悔しさであたしは毛布の端を握りしめて眠った。
今日はバイトは休み。
午前中のうちにスーパーに行って材料を買い込み、和矢が早く帰ってきてもいいようにと夕方から準備を始めた。
カチカチと秒針が静かに時を刻んでいく。
21時を過ぎると、もしかしたら和矢は出て行ってしまったんじゃないかという考えが頭から離れなくなっていた。
何の相談もせずに勝手に始めたバイト。
そして度重なる時間延長。
挙げ句に惣菜をお皿に移しただけの夕飯。
きっと和矢はあたしに愛想を尽かしちゃったのかもしれない。
もしかして実家に帰ったとか?
でもいくら何でも何も言わずに出て行くなんてするかしら。
不安の中であれこれと想像しているうちに、あたしは事故の可能性もあることに気づいた。
居ても立っても居られなくなってあたしは財布とスマホを手に玄関に向かった。
だけどどこに行けばいいの?
和矢の会社?
もし事故だったらきっと警察から連絡が来るはずよね。
だったら下手に出かけない方がいいわよね。あたしはどうしていいかわからずに家の中を歩き回った。
するとガチャガチャっと玄関で音がした。
振り返ると男の人の肩を借りながら和矢が玄関に転がるように倒れ込んだ。

「どうしたの、和矢?!」

あたしが駆け寄ると、男の人が申し訳なさそうに頭を掻きながら、

「初めまして、僕は東堂と言います。和矢とは大学時代の友人で今日は一緒に飲んでいたんですが、僕が飲ませ過ぎてしまったようで……」

東堂さん……?
初めて聞く名前だった。

「お前のせいじゃらい。俺が誘ったんらろ。いいから泊まってれけ」

和矢が呂律が回らないほど酔うところを見たのは初めてだった。

「いいよ、俺は帰るよ。和矢、バックここに置いたからな」

東堂さんはそういうとお辞儀をした。

「では麻里奈さん、僕は失礼します」

「お手数をかけました」

あたしはお礼を言って見送り、玄関を閉めた。
和矢は立ち上がると足をもたつかせながらも浴室に向かって行った。
明日こそ和矢とちゃんと話をしよう。
和矢がお風呂から出て寝室に向かって行くのを見届けてからあたしは夕食を一人でとった。
冷めてしまった料理がまるで今のあたし達の関係みたいで悲しかった。
大好きな和矢との暮らしは思っていたものとは違う方へ違う方へと行ってしまっているような気がした。
頼まれてもバイトの時間を伸ばすのはもうやめようとあたしは心に誓った。

翌日、和矢は「おはよう」とだけ言うと静かに出かけて行った。
具合も悪そうだったし、話は夜にしよう。
家事を済ませてあたしはバイトに向かった。


「池田さん、今日も18時までお願いできないかな?」


今日こそは断ろうと心に決めていた。
あたしは大きく息を吸い、思い切って事情を話した。


「そういうことなら仕方ないか。ていうか実は今日は棚卸しなんだけど、誰も出てくれなくて困っててさ。今日だけ。もう二度と頼んだりしないからさ。今日だけ頼むよ」


「でも……」


「本当にこれが最後。棚卸しも18時まではかからないと思うし、なるべく急いで終わらせるからさ」


「だったら17時ぐらいまでなら」


すると店長は調子良くあたしの肩をポンポンと叩いた。


「いつも悪いな。でも本当に助かるよ」


「本当にこれで最後にして下さい」


「わかったよ。今日が最後ね」


17時までなら和矢より先に帰れるし、夕飯も作れる。これが本当に最後。
15時を過ぎると他のパートさん達が次々と帰ってしまう。
ここからはほとんどお客さんも来ないからあたしは溜まっていたお皿を洗いながら17時になるのを待つことにした。
ところがホールから団体客が入店したと告げられてしまった。
げっ……。
レシピを見ながらなら何個かは作れるようになったけど一気に来たら手に負えない。


「12名だって。池田さん、店長呼んだ方がいいよ」


「でも棚卸しをするって言ってたので」


そうこうしている間にピピっと注文が入ってきた。気が遠くなるほどの長い伝票がプリンターから出てきた。
伝票には数種類の料理名がズラッと並んでいた。
狼狽えているあたしに追い討ちをかけるように更にピピっとオーダーが入ってきた。
こりゃお手上げだわ。
あたしは急いで店長を呼びに行った。


「こんな時間に団体とは珍しいな」


言いながら店長は伝票を見ると、あたしに
点心とポテト、サラダを作るように指示をし、自分はメインに取りかかった。
20分ほどで全ての料理を出し終えた。


「また何かあったら呼んで」


そういうと店長はまた棚卸しに戻って行った。そこからはいつものように注文もなく、あたしは洗い場を片付けていた。
洗ったお皿も元の位置に戻し終わり、ふと時計を見ると17時を過ぎていることに気づいた。
慌てて店長に言いに行くと、途中で呼ばれたせいで棚卸しが押しているから少し待ってと言われてしまった。


「あとどれぐらいですか?」


「もう少しだよ」


少しとかじゃなくて何分か?って聞いているのにと思いつつ、そんなことは言えずにあたしは時計の針と睨めっこをしながら作業台を拭きながら店長の戻りをひたすら待つしかなかった。
18時になると学生さん達が出勤してきてあたしはやっと帰ることができた。
結局お店を出たのは18時過ぎだった。
スーパーに寄る時間も惜しい。今日はある物でどうにかしよう。
冷蔵庫には何があったかしらと考えながら家に帰ると明かりが付いていた。
心臓がドクンといった。
一昨日のことが頭をよぎった。
早かったね、は言えない。
遅くなっちゃった……は違うかな。
素直にただいま、とだけ言えばいいのだろうか。
ノブに手を掛けたまま数秒そんなことで悩んでいる自分に何をしているんだろうと思った。
息を吸い、玄関を開けた。
和矢も帰ってきたばかりのようだった。
あたしは靴を脱ぎ、着替えている和矢の背中に向かって明るく声をかけた。


「ただいま、すぐに夕飯の準備するね」


すると和矢は振り返り、あたしをじっと見た。


「マリナ……お前さ、本当はバイトじゃなく……いや、やっぱいいや」


今のはどういう意味?!
まさかあたしがバイトって言ってどこかに遊びに行ってるとでも思ってるの?!
和矢から滑り出した言葉は鋭い刃のようにあたしの心に突き刺さった。
たかが野菜を切ってお皿を洗ってるだけのバイトだけど、それでも一生懸命やってるのに、和矢はそんな風に思っていたの?!
途中で言葉を止めるぐらいなら最初から言わないでよ。


「何言ってるのよ!バイトに決まってるじゃない。遊んでるとでも思ってたの?!」


疑われていることが悔しかった。
思っていた以上に強い言葉が出てしまった。


「だったら何で毎回こんな時間になるんだよ」


和矢がこんな風に言ってくるのは初めてだった。
ずっと何も言われなかったけど、帰りが遅いことに不満があったんだわ。


「少し残れないかってよく頼まれるのよ」


「バイトだったら断れるだろ?」


「断りづらいのよ」


「本当にそれだけか?」


和矢は何を言おうとしているんだろう。


「どういう意味よ」


「誰かと会ってんじゃないのかって意味だよ」


誰かって、まさか浮気してるんじゃないかってこと?!


「ばっ、バカなこと言わないでよ。今日だって団体客が来たから大変だったのよ。店長が棚卸しを中断したせいでなかなか帰れなくて遅くなっちゃっただけよ」


「ありがちな、良くできたシナリオだ。一体誰の知恵?」


「何よ、それ……」


二人の間に無言の時が流れた。


「ごめん、言い過ぎた。頭冷やしてくる」


そういうと和矢は勢いよくジーパンと白シャツに着替えて出て行こうとした。


「和矢?!」


靴を履きかけていた和矢はふと動きを止め、少しだけ振り返った。

「ごめん、俺どうかしてる」

 

 


つづく