「曲者呼ばわりかい?」
え?
驚ろかすつもりが逆にこっちがびっくりよ。
「あんたパリに帰ったんじゃなかったの?」
「帰った方が良かったか?」
「そうじゃないけど」
続く言葉が見つからずにあたしは俯いた。
てっきり帰ったとばかり思っていたから、さっきまでの寂しさも吹き飛んでこの状況が飲み込めずにいた。
奥さんだけ先に帰らせてまでここに何しに来たのかなんて聞けない。
「思ったより狭いな」
シャルルはリビングを見渡して言った。
まさかどんな部屋かを見に来たの?リビングの中へ歩いて来たシャルルは床に転がっていたおにぎりを拾い上げた。
「夕食?」
「その予定だったけど、いきなりあんたが入って来たからびっくりして放り投げちゃったのよ」
「それならお詫びにちょうどいいか」
その時、玄関のチャイムが鳴った。
今度は何?!
あたしが身構える横を通り過ぎてシャルルが玄関に向かって行った。
「入ってくれ」
玄関の方から声が聞こえてきた。
リビングから様子を伺っていると、大きな保冷ケースのような物を肩から下げた人達が入って来るのが見えた。
そして次々とリビングに入って来ると、手際よくテーブルの上に料理を並べ始めた。
その内の一人はキッチンに向かうと手鍋で何かを始めた。
「一緒に食べようと思って、ケータリングを頼んだんだ」
驚いているあたしの横にいつの間にかシャルルが来ていた。
そこへスープが運ばれてきた。
「それではごゆっくりとお過ごし下さい」
そう言って男の人達は帰って行った。
それにしてもシャルルは一体何を考えているんだろう。
一緒にいたって虚しいだけなのに。
部屋が気になるならさっと見て帰ってくれた方がよっぽどマシだわ。
それなのに夕食を一緒にするの?
今さら何を話せっていうのよ。
「ワインでいいかい?」
鍵を閉めに行ったシャルルが戻って来て、さっきの人達が置いて行ったケースの中のワインを吟味しながらあたしを見た。
ちょっと待って。
飲んだ後、シャルルはどうするんだろう。
帰るの?
それともここに泊まるの?
そもそもここに居ていいの?!
あたしの脳内は葛藤の嵐よ。
だって結婚してる人と食事をするとかお酒を飲むとか、ましてや同じ部屋で過ごすなんていけない気がしてきた。
それにさっきだってあたしへの戒めだとしてもキスされたし……。
やっぱりこういうのは良くない。
「これでいいかな」
あたしはコンビニで買ってきたお茶を見せた。
「調子でも悪いのか?」
シャルルのこの言葉にあたしはカチンときた。結婚してると知りながら呑気にグラスを傾けられるわけないじゃない。
あんたを好きなあたしは一体どんな顔して話をすればいいのよ。
結婚したんでしょ?
だったらあのままさよならしてくれなきゃ困るのよ。
どうにもならないんだったらこれ以上、優しくしないでよ。
溢れ出す気持ちをあたしは抑えきれなくなった。
「奥さんだけ先に帰してここに来るなんて信じられない。なんで戻って来たのよ?!
あたしは今さらあんたと友達に戻ることなんてできない。今だってどうしたらいいかわからないのに……飲めるわけないじゃない」
勢いで言っちゃってからあたしはハッとした。これじゃ、まるであたしがシャルルを好きって言ってるみたいじゃない。
手にしていたワインをテーブルに置いてシャルルがあたしに近づいて来た。
「友達に戻れない?オレたちは君が和矢を選んだ時点で友達に戻ったはずだろ?」
「それは……」
シャルルの言う通りだわ。
思わず口走ってしまったことをあたしは後悔した。
「それなのに和矢とどうして別れたんだ」
なんで知ってるの?って思ったけど、佟弥と暮らしてたんだから普通はそう思うよね。徐々に核心に迫ってくる質問にあたしは言葉を必死に探した。
「お互いに忙しくて会えないうちにすれ違っていって」
ありがちな理由をあたしはそれっぽく言ってみた。
シャルルの青灰色の瞳が鋭く光った。
「そんな理由で別れるなんて、和矢は甲斐性のない男だったってわけか」
その時、別れたいとあたしが話した時の和矢の顔が浮かんだ。
ーーシャルルが家を追われてたあの時、マリナと離れたことを俺、今ちょっとだけ後悔してる。強く抱きしめて繋ぎ止められるんならそうするけど、想いとか気持ちってそうじゃないもんな。シャルルならきっとマリナを幸せにしてくれるよ。頑張れよーー
あたしを責めることもなく、哀しげな瞳で自嘲的に笑う和矢の顔を思い出すと胸が苦しかった。二人の間で心を揺らしたあたしが悪いの。
だからシャルルには和矢のことを悪く言ってほしくない。
「和矢は悪くないわ」
だけどシャルルは納得いかないと言わんばかりに首を振った。
「いや、距離や時間の問題ならいくらだってクリアできたはずだ。オレならそんなことで別れるような事にはしない。それができなかったってことは男として最低だ!」
吐き捨てるようにシャルルは言った。
あたしはたまらずに唇を噛んだ。
和矢は、和矢は!
シャルルならあたしを幸せにできるって、頑張れってそう言ってくれたのよ。
「和矢は最低なんかじゃないわ!全部あたしが悪いの。シャルルにそんな風に和矢のことを言われたらあたし……あたし……」
和矢はあたしにもシャルルにだって恨みごとの一つも言わなかった。
それなのにシャルルにこんな言われ方をされてる。
そうさせたのはあたしだ。
「時間は作ろうと思いさえすれば作れるはすだ。そこは金銭的にも自由が利く和矢がどうにかするべきだとオレは思う。それなのに君は自分のせいだと思い込んでしまっている。和矢は君をそこまで追い込んだのか?!」
「違うわ!和矢はそんなことしてない!和矢はあたしに頑張れって、シャルルならきっと……」
そこまで言ってしまってからあたしは慌てて口を手で塞いだ。
「オレならきっと、何?」
真実を見極めようと真っ直ぐにあたしを見つめるシャルルの瞳からはもう逃げられないとあたしは観念するしかなかった。
つづく