「絵梨花、勝手に窓から入って来るなっていつも言ってるだろ?」
いつも?
この絵梨花って女は和矢の何?
「だってこっちの方が早いし、玄関に回るのは面倒なんだもん」
絵梨花はそういうと自分が入ってきた窓を振り返った。その視線の先には開け放たれた隣家の窓が見えた。
その時、あたしは昔見たアニメのワンシーンを思い出していた。
幼馴染のお隣さん同士が窓から行き来しているよくあるシーン。
スタイルも良く、目鼻立ちがはっきりしていて、見るからに性格がキツそうな子。
けど、あたしなんかよりよっぽど綺麗で和矢の隣にいても引けをとらない。
むしろお似合いなんじゃないかとさえ思った。
「そういう問題じゃないだろ」
和矢は呆れながらもそこまで怒ったりしない。
「それより何よ、この女?」
絵梨花はあろうことか、あたしを指差して和矢に不満をぶつけるように言った。
「絵梨花、人を指差すんじゃない。失礼だろ?彼女はマリナ。俺の大事なお客さんだ。いいから早く帰れ。マリナ、驚かせてすまない」
絵梨花はあたしを上から下まで舐めるように見ると小さくクスッと笑った。
その時、あたしは明らかに絵梨花からの敵意を感じた。たぶんだけどこの子、和矢が好きなんだ。
「これ借りてたCD。返しに来たついでにお茶でもご馳走になろうと思ったのにな」
「お前、いつもお茶なんて飲まないだろ?いいからさっさと帰れ」
「悪いなマリナ。こいつ隣の家に住んでる絵梨花っていうんだ。一コ下なんだけど馴れ馴れしくて、いつも困ってるんだ」
困ってると言う和矢に絵梨花は不満げに頬を膨らませた。
「何よ、その言い方!昔の約束忘れちゃったの?」
あたしはこの時、二人のやりとりを一人の傍観者として見ている自分を感じていた。
だけど和矢に幼馴染が居たなんて初めて知った。それにこうして部屋を行き来する仲だってことも。
きっとあたしの知らない和矢をこの絵梨花って子はたくさん知っているんだ。
だけど胸が痛むことはなかった。
複雑な感情があたしの中にあった。
あんなに好きだった和矢に仲良しの女の子がいたと知っても何の感情も湧いてこない。
その時、あたしは急に不安になった。
シャルルのことも今だけであたしはまた同じことを繰り返すんじゃないかって。
だって一度はシャルルを好きって思って同じベットに入ったことさえあったのに、空港で和矢と再会した瞬間、あたしの心は和矢でいっぱいになった。
あたしは自分で自分がわからなくなってきた。
「約束?何もしてないだろ」
和矢は本当に覚えがないようだった。
すると絵梨花はあたしをチラッと見た。
「したのよ。大きくなったら俺のお嫁さんにしてやるって」
これって、よくあるやつだ。
子供の頃のことだから本当かどうかはわからない。和矢が忘れてるだけで絵梨花って子の言う通りかもしれないし、この場だけのハッタリかもしれない。
たとえしていたとしても所詮は子供の頃の口約束に過ぎない。
守らなきゃいけない義務もなければ、効力もなく、まったく意味はない。
それこそ和矢と二人でいる時に言えば済むことをあえてここで口にしたってことは完全に絵梨花はあたしに向けて言ってるんだわ。
横から出てきて和矢を取るなっていうあたしへのメッセージなんだ。
きっと和矢はしていないって言い続けるだろうし、絵梨花は言ったっていう水掛け論になるだけだわ。それがどんな形で決着するかはいいとして問題は絵梨花が帰った後だわ。
あたしは和矢に別れたいって話さなくちゃいけないし、でもきっと和矢はそれが絵梨花が原因かもしれないって思うんじゃないかしら?
あたしがどんなに絵梨花のことは関係ないって言っても和矢は信じないんじゃないかしら?
もっとちゃんと話し合おうってなって、そうこうしてるうちにあたしは帰るタイミングを逃したりしないか心配になってきた。
「俺は言ってないよ。絵梨花、とにかく今日は帰ってくれないか?」
「ちゃんと言ったのよ。公園のブランコの所で」
「だからさぁ……」
やっぱり始まってしまったわ。
ここは日を改めた方が良さそうね。
言った言わない問題はゆっくり二人で思い出してもらうことにしてあたしは帰ることにした。
「あの……ごめん、和矢。あたし帰るわ。締切の仕事があったのをすっかり忘れちゃってて、また連絡するね」
そう言ってあたしはそそくさと部屋を出た。
「おいマリナ、待てよ!」
すぐ後から和矢が追いかけてきた。
追いかけられると逃げなきゃって気持ちになってあたしは全力で階段を駆け降りた。
玄関までたどり着いたところで和矢に腕を掴まれた。
「離して!」
自分でも驚くほど大きな声だった。
すっと和矢の手が離れた瞬間、あたしは振り返りもせずに家を飛び出した。
門を出たところで後ろを振り返ってみたけど和矢は追いかけては来なかった。
あたしが絵梨花のことで怒って帰ったみたいになっちゃったかな。
そんなことを考えながら、さっき来た道をぼんやり歩いていると突然、「危ない!」
って声が聞こえ、顔を上げた瞬間、目の前に車があたしに向かって走ってきていた。
ハッとして見た視線の先には歩行者用の信号の赤色が見えた。
つづく