「どうして辞めたいだなんて」
ジルは驚きを隠せない様子だった。
「怪我が理由とは言っていた」
「やはり後遺症が?」
「いや、おそらく残らないはずだ。リハビリの様子を聞いた限りではな」
「それで何と答えたのですか?」
「本人の意志を尊重した。理由は他にあるにせよ、だ」
「マリナさん、ですか?」
「おそらくな。週末にはここを出て行くと言っていた」
「すみません。私が二人をここへ連れて来たらなんて言ったばかりに……」
ジルは後悔を口にした。
「君に言われずともオレは二人を連れて来るつもりだった。気にするな」
「マリナさんはこの話を知っているのでしょうか?」
「どうだろうな」
すでに二人の間では話がまとまっているのかもしれない。
マルクはマリナを連れてここを出て行くつもりなのだろうか。
マリナもそれを望んだというのか。
結局、困難を乗り越えた先に芽生えたのは友情ではなく、愛情だったということか。
二人の関係を見極める意味でアルディへ連れては来たが、こんな結果になるとはな。
マリナのオレに対する思いはそれまでだったというだけのことだ。
それならマリナの望み通りにしてやるしかない。
それがマリナにとっての幸せなら。
この先、記憶が戻るという保証はどこにもない。
それならいつまでもここに留めておくわけにもいかない。
ここまでか……。
ただ、もしマリナが後に記憶を取り戻した時はどうなる?
マリナは自分の選択を後悔しないだろうか。
***
夕食は私室に運ぶようにと伝えた。
二人に会う可能性があるからだ。
まだオレの中で迷いがあった。
ほどなくしてスザンヌがワゴンを引くメイドと共に現れた。
「それではシャルル様、ご用意させて頂きますね」
スザンヌは幼少期からオレの食事を担当する古参のメイドだ。
スザンヌの合図でメイドは手際よくクロスを掛け、料理を並べ始めた。
前菜、スープ、魚料理とテーブルが埋まっていく。
「シェフにはワインと生ハムのブッラータだけで良いと言ったはずだが」
「それだけでは体に良くないと思い、勝手ながら私がシェフに頼んでおきました。研究所では偏った食事をされていたのではありませんか?」
栄養士として長年に渡ってオレの食を担当してきたスザンヌは、長期で屋敷を空けると、こうして色々な物をオレに食べさせようとする。
「悪いがあまり食欲がない」
「ではせめてスープとブッラータをお召し上がり下さい」
「ワインにスープか?」
だが、オレの問いにスザンヌは怯むことなく頷いた。
「セロリの野菜スープは必ずですよ」
セロリに含まれるアピインやセネリンは精神を落ち着かせる鎮静作用がある。
今のオレの状態を良く把握している的確なメニューを入れてきたな。
しかもスープなら食欲がない時でも入りやすい。さすがは長年オレを見てきたメイドだけある。
「わかった。スープは頂こう」
「ありがとうございます。こちらのスープをマリナ様はおかわりされてましたよ。ただ、シャルル様がお見えにならないのでがっかりされていた様子でした」
「そうか」
スザンヌの言葉は手放しで喜べるものではなかった。
マリナもオレに話があるのか。
「後はいい。下がってくれ」
「かしこまりました」
二人の退室を見ながらオレはワインを煽った。
このところ忙しくしていたせいか、すぐに眠気に襲われたオレはノック音で目を覚ました。
時計を見ると22時になろうとしているところだった。
終わったと告げなかったせいでテーブルの上の食器はそのままだった。
さすがにこんな時間だ。
スザンヌが下げに来たのか。
「入れ」
つづく