シャルルはフェリックスの肩を掴んであたしから引き離すと、あたしを自分の方へと引き寄せた。
「大丈夫か?」
あたしは頷いた。
フェリックスは気まずい様子で俯いたままだった。
「フェリックス、ちょっといいかしら?」
後から来たジルがあたし達の様子を見るなりフェリックスを外へ連れ出して行った。
二人が出て行くのを見届けるとシャルルは気遣うようにあたしを見つめた。
「本当に大丈夫?」
シャルルはどうして来てくれたの?
だけど口に出せなかった。
たまたま通りがかっただけかもしれない。
あたし達の様子がおかしいから止めに入ってくれただけかもしれない。
「大丈夫よ」
言いながらもまだ手は震えていた。
あたしはそれを悟られないようにそっと手を組んで隠した。
ふとシャルルがあたしの手に視線を落とした。
「そうは見えないな。何か温かいものを用意させよう。落ち着いたら少し話がしたい」
シャルルの部屋に行くとソファに座るように促された。ほどなくして温かいミルクティーが届けられた。
あたしはゆらゆらと湯気が立ち上るカップを両手で包みこんだ。優しい温もりがあたしの昂っていた気持ちを落ち着けていくようだった。
「立ち入ったことを聞くが、君とフェリックスは友人以上の関係ではないのか?」
あたしは首を振った。
「違うわ。ジルの代わりにフェリックスがそばにいてくれてただけよ」
「そうか」
シャルルは小さく息をついた。
「ジルの言葉が気になって君達を探してたんだ」
ジルは何を言ったんだろう。
まさかあたしのことをシャルルに話したんじゃ。
「何て言われたの?」
恐る恐る聞いてみた。
シャルルのこの様子だとあたしのことは思い出してない。
「君の気持ちを考えたらあんな事を言うなんてと咎められた」
ジル……。
きっとあたしの態度からあたしの気持ちに気づいていたんだ。
そう言うとシャルルはテーブルの上で指を絡ませるように組んだ。
「それでオレはなぜジルがそんなことを言ったのかと考えた。そして思い当たることが一つあった」
あたしは息を飲んで、先の言葉を待った。
「何……?」
「フェリックスを君の所に向かわせたが、どこか落ち着かなかったのは、そのせいなんじゃないかと思ったんだ。あちこち探し回っているうちになぜか、後悔している自分に気づいた」
それを聞いた瞬間、あたしは期待した。
シャルルがフェリックスに嫉妬したんじゃないかって。
それで探し回ってくれたんじゃないかと。
フェリックスの言ってたようにシャルルに刺激を与えられたんじゃないかと。
もしかしたらシャルルは何かを思い出しかけていて、それで……。
あたしは祈るような思いでシャルルを見つめた。
「もしかして君は和矢の初恋の相手なんじゃないのか?前に聞いたことがある。もしそうならオレは和矢に顔向けできないことをしたと思ったんだ」
そうじゃない、本当は……そう言いそうになった。
でもシャルルの記憶は少しずつだけどあたしに近づいて来ている。
和矢とのことは間違ってはいない。
それにあたし達のことを説明するにはどうしたって言葉だけじゃ足りない。
「そうよ」
こう言うしかなかった。
結局、和矢と別れたってことは何も思い出していないシャルルに今、話しても意味がない。
「やはりそうか。そうとも知らずにすまなかった。フェリックスはジルに言ってすぐに戻させるよ。それともう一つ、気になっていることがある。オレの記憶の欠片だ」
向かいのソファに座ったシャルルが一歩前に身を乗り出した。
「マリナ、オレの失くした欠片は君なのか?」
シャルルはあたしを思い出したわけじゃなくて、状況から察したんだ。
あたしはこの期に及んで迷っていた。
シャルルが自分で思い出さないならあたしがいくら話しても夢物語だから。
「どうしてそう思うの?」
「君が言った言葉だ。考え方が狭いとオレを非難しただろう。そんな風に囲われてしまったらあんたの恋人はさぞかし息苦しいはずだとね。オレはこれをどこかで聞いた覚えがある。だが、それがどこだったのか、誰に言われたのかが思い出せない。このオレがだ。それで一体何がオレの中で起きているのかと仮説を立てた。すると答えは一つだ。オレの記憶に大きく途切れた箇所はないのに説明のつかないことがいくつもある。それはなぜか、わかるか?」
「わからないわ」
するとシャルルは目を細めて、あたしをじっと見た。
ウソ発見器にでもかけられてる気分になった。シャルルの中で答えは出ているはずなのに何でわざわざ聞くのよ。
「答えはオレの記憶から抜け落ちている人物がいるからなんだ。その人物がいなければ説明のつかないことが多すぎる」
シャルルの観察は続いている。
あたしの表情一つ、見落とさないように話しているのがわかる。
「和矢が記憶を失くした時、和矢は何を忘れたんだ?甲府での事件もそうだ。オレは美女丸とどうやって知り合った?オレがカプセルに入るほどの出来事?そしてミシェルとの闘いではオレはランブイエの森で倒れた。だが一人で逃亡していたとすると、オレは自分でオルレアンに移動したことになる」
そこまでわかっているんだ。
本当にあたしの存在だけがスポッと抜け落ちているんだわ。
今ここであたしが黙っていたとしてもシャルルはもう答えにたどりついている。
そしてあたしがその欠片だと言ったところでやっぱり何も変わりはしないんだ。
諦めにも似た感情にあたしは飲み込まれていった。
あたしは両手を上げて降参のポーズをとった。
「一晩中走ったのよ、アデリーヌの家まで」
シャルルは額に手を充てて、目を瞑った。
「やはり君だったのか」
これでシャルルの中での真実は明らかになった。でもあたしが抜け落ちた欠片だとわかって、それが何になるの?
あたしを好きだと言ってくれたシャルルは戻ってきやしない。あたしを愛してくれていたのだと伝えたところで、今のシャルルにそういう感情はない。
言ったって虚しいだけ。
それにシャルルを苦しめることにもなる。
目の前のシャルルにとってあたしは欠片でしかない。
感情の伴わない過去を知ったところで、お互いに辛いだけだわ。
「待てよ、オルレアンでアデリーヌに匿われる前にオレはここから、たしか本邸を出たのは表か……いや、裏か、」
シャルルはあの時のことを思い出そうとしているんだ。
今にも発作に突入してしまいそうなシャルルをこうして目の前で見ていられることが幸せだと感じている自分に気づいた。
頭を撃たれたって聞いた時は身が縮む思いだった。でも目の前のシャルルはすっかり元通りで、生きていてくれただけで良かったと、今になってしみじみと感じていた。
たとえこのままシャルルがあたしのことを思い出さなくても、元気でいてくれされすればいいとさえ思えてきた。
「オレが本邸をどうやって抜け出したのか、君は知っている?」
失った記憶はさすがのシャルルでも太刀打ちできないんだわ。どんなに思い出そうとしてもわからない。
わからないなんてこれまでの人生で味わったことなんてないわよね。
シャルルの苦悩を思うと、少しでも力になりたいと思った。あたしの知っているすべてをシャルルに話そう。たとえあたしのことを思い出さないとしても。
あたしは立ち上がって、今はカーペットで隠されている場所を指差した。
「ここの隠し扉を開けて地下道に行ったのよ」
シャルルはハッとしたようにあたしを見た。
「そうか!オレはあの時……そうだ、金庫から鍵を持ち出したんだ。それで君と……」
シャルルの視線があたしを捉えた。
あたしを見ているけど、どこか遠くを見ているようだった。
シャルルはきっと記憶を辿っているんだ。あたしはそれを祈るような気持ちで待った。
「オレはなぜ一人で……いや、君を連れて」
つづく