きらのブログ

まんが家マリナシリーズの二次創作サイトです。

愛は記憶の彼方へ 3

白い天井がぼんやりと見えた。

「マリナ?」

必死な顔の男の人が目の前にいる。
黒い瞳が揺らいでいて吸い込まれてしまいそうな綺麗な瞳の人。
顔を横に向けて辺りを見ればカーテンで囲われたベットにあたしは寝ているようだった。
ここは病院?
でも、どうしてあたしはここに居るの?

「痛っ……!」

頭の奥の方がズキンって音を立てた。
思わず両手で頭を押さえる。

「マリナ大丈夫か?!待ってろ、今、先生を呼ぶからな」

そう言ってあたしの頬にそっと手を添えてきた。びっくりしてあたしは思わず身を縮めた。
あたしの反応に驚いたのか男の人はサッと手を引いた。

「ごめん」

この人は……誰?
他には誰もいないの?
辺りを見渡してもこの男の人しかいない。
心の奥底から込み上げてくる不安にあたしはどうしていいかわからなくなった。

「どっか痛むか?」

その時、病室のドアが開いてお医者さんが入ってきた。

「池田さん、大丈夫ですよ。どこか痛みますか?」

先生はベット横に立ち、あたしに声をかける。
池田さん?
あたし……?
さっきの頭の痛みはもう、ない。

「池田さん、ここがどこかわかりますか?」

「病院?」

あたしがそう答えると30代後半の女医さんが優しく微笑みながら頷いた。

「そうですよ。ここは病院です。どこか痛いところはありますか?」

あたしは首を横に振った。

「どうして病院にいるかわかりますか?」

どうして……それはわからないわ。

あたしは首を横に振った。

「あなたは事故にあってここに運ばれてきたんだけど、何か覚えていますか?」

あたしは首を振ることしかできなかった。

「わかったわ。では、あなたの名前を教えてもらえるかしら?」

すぐそこまで出かかってるのに思い出せないもどかしさに不安がつのる。

「……わかりません」

「マリナ……」

女医さんの後ろにいたさっきの男の人が小さく呟いた。
きっとあたしはマリナ……なんだ。それにこの先生は池田さんって。あたしは池田マリナっていう名前なんだ。
だけど全然ピンとこない。

「では、ご家族のことは覚えているかしら?お父さんやお母さん、ご兄弟はいらっしゃるかな?」

記憶ってどうやって思い出していたんだっけ?大事な物をどこかにしまい込んで、しまった場所を忘れてしまったみたいに家族のことも何も思い出せない。

「わかりません」

「そうなのね。でも大丈夫よ。会話はちゃんとできてるし、言葉は理解できてるから。今は事故の影響で一時的に記憶が混乱しているだけだから心配いらないわ。少しずつ思い出せるようになるからね。とりあえず今日はゆっくり寝てまた明日、これからの事を話しましょうか」

そう言うと女医さんは男の人に目配せをし、二人は病室を出て行った。
それにしてもあの男の人、誰なんだろう。
あたしの家族?
兄なのか弟なのか。
思い出せないけどすごく心配してくれてたみたいなのに申し訳なかったわ。
あとでごめんねってちゃんと謝ろう。
そんなことを考えているうちにあたしはうとうとと眠りについた。


次に目が覚めた時もやっぱり男の人がいた。

「おはよう、マリナ。気分はどう?」

「おはよう……えっと……」

名前がわからずに困っていると、男の人が優しく微笑みながら自分は黒須和矢だと教えてくれた。
彼は家族じゃなくて友達だった。
あたしは彼の家に遊びに行った帰りに事故に遭ってしまったんだって。
中学の時に同じクラスになってその後、何年か経ってからまた遊ぶようになったんだよって教えてくれた。
彼はその頃の話をたくさん聞かせてくれたけど、あたしはそのどれも全く身に覚えがなかった。
それから毎日、彼はお見舞いに来てくれた。彼は大学に通っているらしく、帰りに病院に立ち寄ってくれて、その度に話をたくさんしてくれた。


「ーーそういえば中学の時の運動会で、クラス全員でやった騎馬戦なんだけどマリナが相手のクラスの奴らから旗を……っておい、大丈夫か?!」


話を聞いているうちに頭がひどく痛くなってきた。脳の血管がドクドクとすごい勢いで血が流れているようだった。


「うん、じっとしていればすぐ治るから平気よ」


「こういう頭痛、よくあるのか?」


「うん、たまにね。でも先生が検査の結果は何も異常ないから大丈夫だって言ってたわ。血流の影響みたいなんだけど」


「先生がそう言うなら心配なさそうだけど、無理すんなよ。俺も今日はもう帰るから少し寝た方がいい」


「うん、来てくれたばっかりなのにごめんね」


「そんなこと気にするな」


そして次の日もまたその次の日も彼はお見舞いに来てくれるんだけど、話を聞いているうちにあたしはどうにも頭痛がひどくなって、彼は話もそこそこに帰る日が続いた。
そんな日々が続いたある日、彼がいつも来る時間が近づいてることにストレスを感じている自分にあたしは気づいた。
いつも彼が来る時間にあたしは頭が痛くなるのか、それとも彼が来ると痛くなるのかはわからない。
だけど、いつも話してくれる彼の話はあたしにとっては全く知らない話で、それらを聞いていることが少し苦痛になっていたのは事実だった。

ナースコールを押して看護師さんに今日は体調が良くないから彼の面会を断ってほしいとお願いしてみた。

「わかりました。彼にはそう伝えておきますね。何かあったらまた呼んで下さい」

「お願いします」

ホッとするのと同時に彼に申し訳ない気持ちが込み上げて来てあたしは溢れる涙を止められなかった。
夕方になると看護師さんが夕食を運んできてくれた。
だけど気分が落ち込んでいてとても食べる気にはなれなかった。
しばらくして看護師さんが食器を下げに来た。

「池田さん、ちゃんと食べないと元気になれないわよ。また後で来るから少しだけでもいいから食べて下さいね」

元気になれないって言ってもあたしは記憶がないだけで体はどこも異常はないって先生が言ってた。
本当に奇跡的に記憶を司る海馬って所を打っただけであとはどこも正常だったらしい。事故の時に相手の車がスピードを出していなかったことが幸いしたらしいんだけど、これも全く覚えてない。
こうして自分のことが何もわからない不安定な状態が日を追うごとにあたしを追い詰めていった。
目が覚めるとぼんやりと窓の外を眺めていることが多くなった。そうしていると喉元まで出かかってる何かを思い出せそうな気がした。

***

 

それ以降も夕方になると彼は面会に来て、その日、大学であった出来事を話して帰る日々が続いた。そういえば彼はいつの頃からか過去の話をしなくなった。
そんなある日、彼はいつものように病室に来ると手にしていたバックから一冊のノートを出した。

「マリナは絵を描くのが好きだったから気分転換にどうかな?って思ってさ」

そう言って36色の色鉛筆とスケッチブックをくれた。あたしは綺麗な配色に目を奪われた。

「すごい青だけで5色もあるわ!」

「だろ?俺もびっくりした。こんなに色ってあるんだな」

「ありがとう、黒須さん」

そう言った時の彼の悲しげな瞳はその夜、眠りにつくまで忘れられずにいた。
あたしは何も思い出せなくて苦しんでいるのは自分だけって思っていたけど、きっと彼もあたしに忘れられて苦しいはずだわ。そんなことにもあたしは気づかずにいたんだ。彼の気持ちを考えると胸が痛くなった。
あたしは今夜も病室で泣きながら眠った。


つづく