どうにかして逃げなきゃ。
こんな訳わからない男に好きにされるなんて絶対にいや!
でも力じゃだめだわ。
今はとにかくこの男の言う通りにして隙をみて逃げ出そう。
あたしはコクコクと首を縦に振って静かにするという意思表示をした。
「手荒な真似してごめん。大声出されたらまずいと思っ……」
その途端、男はふらっとよろめいたかと思ったら床に崩れるように倒れた。
いったい何っ?!
「ちょっと、何してるのよ?!」
見れば男はハァハァと苦しげに呼吸をしている。そういえばさっき押さえられた時もこの人の手……。
そっと近づいて男の手に触れてみた。
燃えるように熱い。
もしかしてこの人、あたしを襲うつもりじゃなくて本当にただ家の前で倒れていただけ?
***
居間の襖がスッと開く音であたしは目を覚ました。
「布団ありがとう。おかげで凍死せずにすんだみたいだ」
やっぱり怖くてこの人をキッチンに放置したまま、あたしは居間で毛布に包まってうつらうつらしていたんだけど、さすがにそのままってわけにもいかず、この人にコタツ布団をはがして掛けてあげたんだった。
突然の乱入者にあたしは何をしているんだろう。
「治ったならもう出て行ってほしいんだけど」
あたしは立ち上がって玄関を指差した。
「その事なんだけど、外はあんなだし」
見れば窓の外は真っ白な雪が深々と降っていた。そりゃ寒いわけだわ。
「それで?」
「実は俺、家を追い出されて行くあてがなくて」
年の瀬も迫ったこの時期にアパートを追い出されるなんて同情はするけど、見知らぬ男を家に置くなんて無理だわ。
たとえ明日は我が身だとしてもナシだわ。
「無理よ。友達とか知り合いとか他をあたってちょうだい」
その時、誰かが激しくドアを叩く音がした。
「池田さん!いい加減家賃払ってくれないかしら?さもなきゃ強制退居よ!」
大家さんだ、まずい!
「家賃滞納してるのか?」
「シッ!静かに」
あたしは人差し指を立てた。
この前の原稿料が振り込まれるのは普段なら月末なんだけど、なんせ年末年始ってことで早くても来年の4日以降じゃないと下ろせない。
それまではどうにかやり過ごさなきゃ。
すると男は何を思ったのか玄関に向かって歩き出した。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
大家さんに聞こえないように小声で言うと男は立ち止まってあたしを振り返った。
「出て行けってさっき言っただろ?」
男は大家さんにはお構いなく平然と言った。
「池田さん、やっぱりいるのね?とにかく今日こそ払ってもらいますよ!ここを開けなさい」
ひぇー、居留守がばれる!
男はドアノブに手をかけるとこっちを振り返った。
「どうする?」
今度は声をひそめて男が聞いてきた。
「わかった、居てもいいから今は静かにしてて!」
すると男は親指と人差し指で輪っかを作ったオッケーサインを送ってきた。
それからしばらく大家さんは玄関を叩いていたけど、玄関の郵便受けに何かを押し込むと諦めて帰って行った。
あたしは外の様子を気にしながらそっと郵便受けに入れられた物を取り出した。
そこには茶色の封筒が一通。
中を開けてみると思った通り、家賃の支払いについてと書かれたものだった。
支払い期限は12月30日。
これを過ぎれば翌日の31日には強制退居をすると書いてあった。
このままだと年越しは路上ですることになっちゃうわ。
「ここ、家賃いくら?」
どうやら男は手紙を盗み見たのか遠慮もなく聞いてきた。
「25000円」
途方に暮れていたあたしは何も考えずに答えていた。
あぁ……ついに路上生活か。
「で、何ヶ月滞納してんの?」
「4ヶ月……ってあんたに関係ないでしょ。昨日会ったばかりであんまりグイグイ来ないでよ」
すると男は髪を掻きながら答えた。
「君が退居になったら俺も一応、困るからさ」
そういえば、どさくさに紛れて居てもいいって言っちゃったんだった。
「さっきは成り行きでいいって言ったけど」
やっぱり一緒に住むなんてできないわ。
いくら和矢と別れたからって男と暮らすなんてできない。
だってあたしはシャルルが忘れられなくて和矢と別れたんだもん。
「俺がどうにかするから心配すんなよ。ここで年越しそば一緒に食おうぜ」
え?
「な!それならお互いウィンウィンじゃない?」
そう言って笑った顔はまるで子犬のようだった。確かにこの窮地を脱せられるならあたしにとっても悪い話じゃない。
「でもどうにかするって言ってもどうするのよ。10万よ?」
「大丈夫、任せとけって」
「でも男の人と暮らすのはちょっと。それにあたし、好きな人がいるから」
すると男はあたしが言わんとしてることに気づいたようだった。
「そいつとは付き合ってないの?」
あたしはコクリと頷いた。
付き合うも何もあたしとシャルルの間には二度と何もないわ。
あんな風にお別れしたのに今さらだもの。
「彼氏ってわけじゃないなら心配しないで。俺、女の子は恋愛対象じゃないんだ」
それって男の人が好きってこと?
あたしは希望を見出したような気がした。
「そういうことなら当分はいいわ。二人で暮らせば費用も半分になるしね。あたしはマリナ、これからよろしくね!」
あたしが右手を差し出すと、彼は戸惑いながらもあたしの手を取った。
「俺はトウヤ、神楽佟弥。こっちこそよろしくな」
つづく