話し声で目が覚めた。どうやら向こうの方で誰かが話しているみたいだわ。
頭が痛くなってそのままあたし、意識がなくなっちゃったんだ。ベットに寝てるってことは誰かが運んでくれたんだ。
隣の部屋かしら?
「さっきも過換気発作を起こしたばかりだから、念のためにこの部屋でお前と同室にしたんだ」
この声、シャルルって人だわ。
それで黒須さんと同じ部屋にしたんだ。
「ごめん。マリナが不安そうな顔をしたから思わず別にしてもらった。まだマリナには俺とのこと話してないんだ」
俺とのことって何だろう?
「逆行性健忘の多くは何かのきっかけで記憶が戻ることがある。恋人だったといえば刺激になるんじゃないか?」
思った通りだわ。
あたしは黒須さんと付き合っていたんだ。
「それが、事故の少し前に俺達トラブって」
「どんな?」
「隣に住む絵梨花っていう幼馴染が昔、俺と結婚の約束をしたって言い出したんだ。それを聞いてマリナが怒って帰っちまったんだ。その後、事故に遭った。だからマリナが記憶を失くしたのは俺のせいなんだ。だから言い出せないままなんだ」
「それなら今のままでもいいんじゃないか?マリナがマリナであることに変わりはない。これから二人で新たに思い出を作っていけばいい」
その言葉にあたしは胸を打たれた。
さっきまであたしはちゃんと思い出さなきゃって必死になってたけど、シャルルって人は今のままのあたしでも良いと言ってくれてる。
「簡単に言うなよ!俺はあいつに全部思い出してもらいたい。これまでのこと全部をだ。苦しいんだよ、友達って顔してるのは!」
悲痛な叫びだった。
それだけあたしは彼を苦しめてしまっていたんだ。
「辛いのはお前じゃない!一番辛いのは自分が誰かもわからないマリナなんだぞ!少しは考えてやれ」
あの端正な顔からは想像もできないほど、シャルルって人は声を荒げている。
今にもつかみ合いになりそうな空気を感じて、あたしはベットから起き上がった。
とにかく二人を止めなきゃ。
「考えてるよ!だからここへ来たんだ。でもマリナがお前ん家の絵を描いてたのを見た時はハッとしたよ。もしかしてマリナは俺よりもお前のことをって……!お前の家のことで俺達は一度別れた」
【俺は待たない。約束もしない。今、ここで別れよう。もしまた会えたなら、その時は他人だ】
突然、流れ込むように彼の声が再現フィルムみたいに聞こえてきた。
あっ……!
記憶の渦が怒涛のように脳内を駆け巡るのがわかった。靄のかかった薄っすらとした記憶が鮮明にあたしの中に戻ってきた。
そうだ。
あたしは和矢とここで別れたことがある。あの時はどうして別れようって言われたのかわからなくてシャルルについて行くって決めたことが和矢は気に入らなくてそう言ったんだと思ったりもしたんだ。
「ずっと考えないようにしてた。でもここに来てお前を見た瞬間に嫉妬で狂いそうになった。お前とマリナの間に何があったんだろうってそればかりが気になっておかしくなりそうだった」
和矢……。
そうか、シャルルと一緒にここを出て行った後もずっと気になっていたんだ。
「安心しろ。何もない。マリナはオレと逃げている間もずっとお前のことだけを考えていた。オレは何もできなかったよ」
涙が頬を伝った。
シャルルはあたしのために嘘を言っている。あたしと和矢のこれからを考えてあたし達の間にあったことを一切言わないつもりなんだ。
あたしがシャルルを好きだと言ったこともなかったことにしているんだ。
「そうか。悪りぃ。お前にこんな話するつもりじゃなかったんだけどな」
和矢がシャルルの言葉で落ち着きを取り戻したんだと感じた。
二人がこっちの部屋に来る!
あたしは慌ててベットに潜り込んだ。
「マリナは昔の話をすると頭が痛くなるみたいなんだ。なぁシャルル、何でかわかるか?」
「オレにわからないことがあるとでも?」
見えなくてもわかる二人の距離感にあたしはベットの中で毛布を掴んだ。
この二人を引き裂いたのは誰でもない、あたしだ。
「俺、お前とまた会えて本当に嬉しいよ」
「嫉妬に狂ってたのにか?」
笑いながらドアが開く音がした。
あたしは慌てて涙を拭ってギュッと目を瞑った。
和矢と別れようと思っていたことも、シャルルが好きだと自覚したことも今は伝えるべきじゃない。
つづく