日中は窓から見える景色を見ながらスケッチをして過ごすことが増えた。
「あら、とても上手ね。私なんて絵心が全然ないから立体的に物を描ける人って尊敬しちゃうわ」
昼食の片付けに来てくれた看護師さんがあたしのスケッチを見てそう言った。
彼女はこのフロアの担当の林谷さん。
最近はこうしてよく話をするようになった。
「あたし、マンガ家をやってたみたいで、絵を描くのが好きみたいです」
「少し見せてもらってもいい?」
「大した絵じゃないですけど、どうぞ」
あたしはスケッチブックを林谷さんに手渡した。感心したように巡りながら数枚の絵を見ていくうちに彼女の手が止まった。
「ずっとここからの景色を描いていたみたいだけど、これって写真か何かを見たの?」
林谷さんの目に止まったのは夢で見た景色だった。
「素敵な建物ね。ヨーロッパとかのお城みたいだけど、池田さん、前に行ったことがあるのかもしれないわね。羨ましいわ」
「覚えてないんですけど、行ったことあるのかな」
「彼なら知ってるんじゃない?黒須くんだっけ?聞いてみるのもいいかもね。何か思い出すきっかけになるかもしれないわよ」
あたしの失っている記憶は脳の中のネットワークが今は途切れちゃってる状態みたいで、ふとしたきっかけでネットワークが働き出す可能性があるって前に先生に言われたわ。
「そうですね、聞いてみようかな?」
***
午後の診察の時に先生から退院の話をされた。本来なら家族に迎えに来てもらわなきゃいけないんだけど、あたしはこんな状態で家族の連絡先がわからないから黒須さんのお父さんが保証人になってくれたみたい。退院後は彼にあたしのアパートまで送ってもらうことになった。
診察を終えて病室に戻ると、彼がお見舞いに来ていた。
「黒須さん、色々とありがとう」
「気にするなよ。でも無事に退院することができて良かったな」
彼はそう言うとどこか寂しげな顔をした。
あたしの態度が以前とは違うからなんだと思う。
きっとあたし達、もっと仲が良かったんだ。そうじゃなきゃこんなに毎日お見舞いに来たりしないはずだもの。
いつまでも彼にこんな顔はさせてちゃいけない。だから早く彼のことを思い出したいと心から思った。
ふと、あたしは林谷さんと話していたことを思い出した。
「あの、見てもらいたい物があるんだけど……」
あたしはサイドテーブルに置いていたスケッチブックを取り、夢で見た景色の絵を彼に見せた。
彼はあたしからスケッチブックを受け取ると息を飲んだ。
「お前、これ……」
「黒須さん、ここがどこだか知ってるの?!」
すると彼はとても切なさそうに、まるで何かに耐えるかのようにボソリと言った。
「あぁ……とてもよく知ってる」
あたしは彼に何か悪いことをしてしまったような気持ちになった。
絵に描いたあの場所をあたしは夢で見た。それがきっと彼にとっては辛いことだったのかもしれない。
「そうなんだ。綺麗な建物だなって思って。ちゃんと描けてるみたいで良かった。教えてくれてありがとう」
これ以上は聞いちゃいけない気がしてあたしは話を終わらせた。
渡したスケッチブックを受け取ろうと手を伸ばしたけど、彼はそれには反応してくれず、ただじっとその絵を見ている。
受け取るタイミングを逃した手をあたしはどうしたものかと思いながらも静かに下ろした。すると彼が徐に絵をあたしの方に向けた。
「ここに、行ってみるか?」
つづく