別邸まではわずかな距離だが、夏の陽射しが容赦なく照りつけてくる。暑さ凌ぎなのか本邸前の噴水で小鳥が水浴びをしている。
あれはゴシキヒワか。
ヨーロッパ、北アフリカを中心に広く分布している。姿形が良く、そのさえずりは美しく、古くから人々に好まれている。
たしか日本ではカナリアとの交雑種でハイブリッドと呼ばれてーー。
自らの思考にハッとする。
無意識のうちにオレは……。
歩き出して数分、特徴的な列柱が見えてきた。ギリシャ建築を意識した古典主義建築様式を見上げた。
ここへ足を運ぶのは何年ぶりだろうか。
ルパートが筆頭親族となり、この別邸を与えられてからはほとんど来る機会はなくなったが、ここの書庫が好きで祖父の弟が暮らしていた頃はよく来ていたものだ。
中へ入ると、左右に分かれた大理石の螺旋階段が迎えてくれた。玄関部分を改築する際、オレがデザインしたものだ。
「これは、これはシャルル御坊ちゃま!」
玄関脇で花瓶に飾られている花の手入れをしていたメイドがパッと顔を輝かせた。
彼女はこの屋敷に古くからいるメイドで、オレの幼少期を知る数少ない使用人の一人だ。ここへ立ち寄った時はよく面倒を見てくれていた。
「御坊ちゃまはやめてくれ、サーラ。私はもう23になる」
「申し訳ありません。私ったらシャルルお坊ち……御当主様のお顔を見たら、つい……」
彼女は慌てて手で口元を覆って恥ずかしそうにした。その仕草に胸の奥に僅かなくすぐったさを感じた。
もし母が生きていたらきっと彼女と同じぐらいの年齢だったはずだ。
「シャルル様〜っ!!」
別邸中に響き渡りそうな声にサーラの表情が険しくなる。
「こら、エマ!御当主様ときちんとお呼びなさい」
サーラがそれを言うのか?
オレは思わず笑いそうになった。
「ごめんなさーい、サーラさん。シャルル様ごきげんよう」
元気よく駆け寄ってきたエマはそういうと満面の笑みを浮かべた。
反省の色はまったくない様子で相変わらず元気が売りのようだ。
「御当主様、ごきげんよう」
エマの後ろから小さな声でそう言ったのはキャロンだ。彼女はエマとは逆に昔から大人しいタイプだった。
「二人とも変わらず元気そうでなによりだ」
両手でそれぞれの頭を撫でてやると二人とも嬉しそうな顔をした。
「キャロン、やっぱりマリさんも来れば良かったのにって思わない?」
「マリさんは恥ずかしかったのかもしれないね、エマ」
この屋敷にはマリという名のメイドはいないはずだ。
「マリというのは君たちの友達かい?」
「そう、友達〜!ルパート様のいい人!ね、キャロン?」
「そうだね、エマ」
子供達の言ういい人というのがそういった意味なのかとサーラに視線を送る。
「ほら御当主様はお忙しいから、二人ともご挨拶して部屋に戻りなさい」
二人の姿が廊下の向こうへ消えたのを見届けるとサーラはあまり大きな声では言えないことけれどと言って話だした。
「あの子達が言っていたようにその方はルパート様の大切な方だと思います。なにせルパート様がお屋敷に女性をお連れになったのは初めてのことですから。ところがルパート様はお忙しいのか何日もお帰りになっていないのです。その方も慣れない環境に不安なのでしょう。あまり元気がないご様子で私達も心配しております。ルパート様がこんなに戻られないなんてこれまでになかったものですから。それに……いえ……」
サーラは何かを言いかけてやめた。
「ここは別邸とはいえ、アルディ家本邸敷地内だ。アルディで起こるすべてに対して当主である私は知る権利があると思わないかい?」
サーラの中で葛藤もあったのだろう。それでも決心がついたのか彼女は静かに話し始めた。
「これは私の思い過ごしかもしれませんが、その方はルパート様のことをあまりお好きではないのかと……」
「どういうことだ?」
ルパートに決まった相手がいるならフレミール家との縁談もそのままでいいかとも思ったのだが、そのマリという女性は一体……。
「その方はよく別邸のお庭から外を眺めていらっしゃるのですが、最初はルパート様のお帰りを待ち遠しくされてるのかと私も思っていたのですが、その……ある時「シャルル」とおっしゃっているのを耳にしまして」
「私の名を?」
「はい」
オレをシャルルと親しげに呼ぶ人間は限られている。
ルパートと共通の知人でそんな人物がい……るのか……?
次の瞬間、全身を衝撃が走った。
まさか……!
でもそんなはずがない。
だが、もしそうならルパートがここへ帰らない理由は一つだ。
「ルパートはその女性を連れて来た日から一度もここへは帰って来ていないのか?!」
サーラが首肯すると同時にオレは走り出していた。
つづく