目が覚めるとシャルルの腕の中に包まれて眠っていた。
パリにいた時からこれはずっと変わらない朝だった。私が何処かへ行ってしまうんじゃないかと思うらしいの。
そんな事ないから大丈夫よ!って言ってたのはついこの前の事だった。
隣で眠るシャルルを見ながら私の記憶に刻み付けていく。サラサラの髪に手を伸ばすと昨日貰ったブレスレットがキラリと輝いた。
パリに戻ったら…シャルルはそう言ってたけど私は一緒には戻れない。
涙が流れて枕を湿らせていく。
泣いていたら変に思われちゃう。
そっと腕を解き静かに起き上がってシャワーを浴びた。私の悲しみも一緒に洗い流した。
寝室に戻るとシャルルは身支度を整えているところだった。もう病院へ向かうんだわ。
「おはようマリナ。君が朝からシャワーなんて珍しいな。オレは先に行かなきゃならないからカオルと一緒に後からおいで。」
私を抱き寄せてキスをするとシャルルは出掛けて行った。
本来ならずっと病院にいるつもりだったけど、Xmasイヴだからシャルルは一緒にいてくれたのかもしれない。
プレゼントまで用意してくれてた。
手首で煌めくブレスレットに指で触れてみる。一生大切にしよう。
シャルルとの思い出とともに…。
その日もみんなで病院に行った。
兄上は眠り続けたままだった。
薫は手術直後は目を覚ますかもしれないって希望があったみたいだけど、時間が経つに連れてやっぱり覚醒しないのかもしれないと覚悟しているようだった。
シャルルが手術して目覚めないならやっぱり難しいってことなのかもしれない。
「マリナ、兄貴の見舞いに毎日付き合わせて悪いな。ずっとこうしているのも退屈だろ?
明日にはパリに戻るんだし行っておきたい所とかないのか?」
パリに戻る気がなかったから日本が名残惜しいとか全然思っていなかった。
そういえば明日からの事だって何も考えてないっ!
あのアパートってどうなってるんだろう。パリにとりあえず出掛けてからそのままにしてあったんだわ。
急に現実が見えてきて私は青ざめた。
私ったらお金持ってないじゃない…。
「薫、少しだけお金を貸して欲しいの。
私、アパートをそのままにしてあって気になるんだけどお金を全然持ってなくて行けないのよね。」
私がそう言うとそんな事かと現金とカードを貸してくれた。さすが響谷家のお嬢様、気前がいいわ!
悲しんでばかりいられないわ。明日からは自分で生活しなきゃいけないんだもの。
懐かしいアパートに着いたけど私ったら鍵を持ってきてないっ!
そもそも家賃を払ってないんだもの他の誰かが住んでるかもしれない。
ここに住めないとしたら野宿…?
いや、こんな年の瀬に寒空で野宿なんてしたら凍死だわ!
おそるおそる大家さんに声を掛けてみた。
「池田さん、久しぶりだね。どこかに出掛けていたのかい?
あんたの部屋はそのままにしておいて欲しいって、ずいぶん前に綺麗な外人さんが来て家賃を1年分前払いしていったよ。鍵を無くしたならスペアをあげるよ。前払いなんて本当に有難いねぇ。」
大家さんはご機嫌で鍵をくれた。
ずいぶん前って記憶を無くした時かもしれない。シャルルが気を利かせて払っておいてくれたんだわ。
私がいつここに戻るかなんて分からないのに…。
いつか私がここへ帰ってきて困らないようにと払っておいてくれたんだわ。
私が日本に帰ってしまうかもしれないと思いながらシャルルが手続きをしたのかと思うと胸が痛んだ。
部屋はあの時のまま何も変わっていなかった。また私はここで暮らすんだわ。
私が病院へ戻ったのは夕方近くだった。
病室にはシャルルも居て兄上の様子を確認しながらカルテに書き込みをしていた。
「ヒビキヤの事だが、明日この病院からアルディへ移送することにした。ここでは十分な治療は出来ない。何かあってもオレがすぐに対応できないのが理由だ。
容体も安定している。医療コンテナのままジェットで空輸する。彼は国内では存在してない事になっているから荷物として運び出せば問題ないだろう。」
突然のシャルルの言葉に誰もが息をのんだ。兄上をパリに移送?!
あまりの事に薫は目を見開いてシャルルを問い詰める。
「なんでパリに移送しなくちゃいけないんだ?今までだってここで治療してたじゃないか。十分な治療が出来ないってどういう事だよ。」
遠く離れたパリに連れて行かれてしまう事に納得が行かない様子だった。
ここでは消極的治療しか行われてないことを薫は知らない。でも事実、兄上は何も変わっていなかった。ましてや危篤にまで至ったのだからパリに連れて行くのも分からないでもない。
「まずここの医師ではオレの作った人工脳は扱えない。それに対処療法しか行えない。そして何より治療する気はほとんどないようだ。
これが1番の理由だからだ。」
薫は驚きシャルルを食い入るように見つめていた。さっきまでのシャルルへの不信も疑問も吹き飛ばされていた。
「そう言うことだったのか…。わりぃ。
何も知らないで勝手な事を言った。
シャルル、兄貴を頼むよ。」
薫はこの病院で兄上がどんな立場に居たのか気付いたんだわ。
どの医師も積極的には治療していなかった。拳を握って悔しさを噛み締めている薫は痛々しかった。
私は薫を励ますことしか出来ないけど、
今までずっと1人で兄上を見守ってきた彼女の力になりたかった。
「兄上はパリに行けばきっと良くなるはずよ。だってシャルルが付いているんだもの。だから私たちは、これからの事を考えましょう。」
「フランスで新しい市民籍を取得させる。日本の戸籍のようなものだ。意識さえ戻ればどうにかなるはずだ。」
シャルルの言葉は何より頼もしかった。
兄上はフランスで新しい一歩を踏み出せるのね。
その言葉を聞くと薫は肩を震わせ涙を流していた。
2人にとってここからが新しい一歩になるんだわ。今まで辛い思いをしてきた分、薫には幸せになってもらいたい。
その夜は病院に泊まるから薫の部屋に行くようにとシャルルに言われた。
最後の夜は一緒にいたかったけどこんな時にそばに居たいなんて口に出来なかった。
その夜は結局、薫の部屋には行かずに1人で眠った。薫にもシャルルとの事は話せない今は、1人で居たかった。
明日はなんて言って日本に残ろう…。
つづく