「オレと一緒にパリに行かないか?」
私は首を小さく振った。
「行かないわ……。パリには行きたくない。日本で平和に静かに生きて行くって決めたの。誰も傷つけたくない……」
シリルは私の目をじっと見つめると、ふっと優しい笑顔を作った。
「オレを傷付けてるのはいいの?」
シリルは私を好きだと言ってくれた。命を掛けても守ろうとしてくれた。自分を大切にしない私を本気で叱ってくれた。
「だからと言ってシリルとパリで暮らす事とは違うわ!パリに行ったら私は、あんたを好きになるの?
そして今度はあんたに心配を掛けてまた誰かを犠牲にして私は生活するのっ?!
誰にも迷惑掛けたくないの。
お願い、もう放っておいてっ!!」
私は泣きながら最後は叫ぶように自分の思いをぶつけていた。
シリルは切なげに、薄紫の瞳が何かを確かめようと、そして私の心を見透かすように見つめていた。
「わかったよ。オレが悪かった…。
マリナさんの気持ちも考えずに先走っちゃったな。言い方を変えるよ。
パリに遊びに来ない?その傷を治すためにね。
傷を治してくれないとさすがに心配でオレは帰れない。」
その言い方から私の事を考えてくれてるのは痛いほど伝わってきた。
でもパリには行けない…。
仕事も貰った事だし、これからは薬を買うことも出来るからと言ってシリルの誘いは断った。
それなら…と、完治するまでは自分は日本に滞在するから3日に1度は顔を見せに来るように約束させられたわ。
たくさん心配させてしまったので無下に断ることも出来なかった。
ディナーをたんまりご馳走になった後、アパートまで送ってもらい、3日後にまた会う約束をして別れた。
アパートに戻った私はどっと疲れが出て、ベットに横になった。ワンピースもそのまま着てきちゃったわね。
痛む腕を摩りながら、テーブルの上に置いたシリルから渡された塗り薬をしばらく眺めていた。
シリルの優しさが愛を失ったばかりの私には辛かった…。誰かと恋をする気になんてなれない。
シャルル以外を好きになるなんて考えられない。
「風呂から出たらよく拭いて、塗るんだよ。出来たら一度病院に行った方がいいんだけどね。」
シリルは子供に聞かせるように何度も繰り返した。
私だってそれぐらい分かるわよ!って言い返したら絆創膏だけ貼って終わりの奴は信用ならないって。
さっきまでのシリルとのやり取りを思い出して可笑しくなった。
ふふっ…と声を出して笑った。
久しぶりに笑ったかもしれない。
私は丸2日かけてスケッチ10枚を気合いで完成させたわ。
夜中にふっと始めて朝方まで夢中で描いて、少し寝てまた描くを繰り返した。
いくつもの場面や風景を思い浮かべながら描いてる時間は何とも幸せな時間だった。
パリの生活をスタートする為に降り立った空港のロビー。ノートルダム大聖堂も望めるセーヌ河にかかるシュリー橋。
何度か連れて行ってもらったカフェやレストラン。
スケッチを描き終わると影のような孤独感だけが私を縛り付けて離さない。幸せな時間を味わった分、余計に手放した愛の大きさを思い知らされていた。
シャルルを描いていたスケッチは途中のまま机の引き出しにしまった。
泣いていては先に進めない…。
今日は神華先生の家まで約束通り描き上げたスケッチを持っていった。
私は緊張したせいか、疲れてしまい家に帰るとすぐにベットに体を沈め、着替えもしないまま眠ってしまった。
どれぐらい時間が経ったのかしら?
頭はボーッとしていて熱っぽい…。
なのに体は寒気でゾクゾクしてきた。
何も掛けずに寝ていたから風邪引いたのかしら?
「ピンポーン…ピンポーン…」
遠くで聞こえる。頭がボーッとしたまま玄関先まで行くとドア越しにシリルが声を掛けてきた。
「マリナさん、いる?」
私はようやく鍵を開けるのと向こう側からシリルが物凄い勢いで扉を開けて入ってきた。
約束の日なのに顔を出さない私の様子を見にきてくれたらしい。
熱のせいで虚ろな目をした私の額に手を当ててシリルは小さく舌打ちする。
「まったくっ!マリナさんは何しているんだよっ!」
つづく