「マリナ?」
「どうして送るなんて言うのよ」
再会以来、マリナがこんな風に気持ちをぶつけてくるのは初めてだ。
どこか他人行儀で、距離を感じていたが仕方がないと割り切っていた。
でも今のマリナは本来の彼女に近い。
「一人で帰らせたくないからだよ」
「だから、どうして?」
「君が大切だからだ。部屋までの安全をこの目で確認したいのと、一人で帰らせるような野暮なことはしたくないからだ」
正直な気持ちだった。
マリナはそんなことは望んでいないだろうが、一人寂しく帰らせたくなどなかった。
「嘘よ」
「なぜそう思う?」
マリナの中のオレへの不信の原因は何だ?
だがオレの問いにマリナは何も答えようとしない。
唇を引き結び、感情を抑えている様子は明らかにオレに何かを訴えかけている。
「マリナ?」
「記憶の戻らないあたしはもういいんでしょ?」
マリナは視線を外したまま、目を合わせようとしない。
「君の記憶がどうであれ、君が大切なことに変わりはない」
「嘘よ、だって……」
マリナはそこで一旦言葉を止めた。
それから意を決したように続けた。
「婚約者を探してるんでしょ?メイドさん達が言ってたわ。それにあの紙……」
マリナの視線の先にはテーブルに置かれた一枚の紙があった。
それでマリナはオレが見限ったとでも思ったのか。メイドの間で噂されるほど大っぴらに婚約の話が進んでいたとは思わなかった。
「婚約者候補のリストか。あれはルパートが勝手に持ってきた。オレは全く興味ない」
慎重に言葉を選び、事実を伝えた。
「でもずっとどこかに行ってたでしょ?メイドさん達の話を聞いた時、ピンと来たわ。それに今日だって。夕食はここで取ったんでしょ?」
残されたままの食器にマリナの視線が向けられた。
「マルクからここを出て行くと聞いた時、君を連れて行くんじゃないかと思ったんだ。そんな話は聞きたくもない。だから君達を避けていた」
「あたしがマルクと?何で?」
この反応からするとマルクとのことはただの杞憂だったと察した。
マリナ本来の人懐こさだっただけということか。
「二人が一緒にいる所を何度か見かけた。それでオレも覚悟を決めなければいけないと思っていた。それでもどうしても決心がつかなかった。それで部屋に運ばせた」
「それじゃ……記憶が戻らないあたしに痺れを切らしたってわけじゃないの?」
拍子抜けしたような顔のマリナを見てオレの胸はざわついた。
「そんなことはあり得ない。君の記憶がないのも元はと言えばオレのせいだ」
「話があるって呼ばれたから、あたしはてっきり……。マルクもここを出ていくみたいだし。だからあたしもそろそろ日本に帰れって言われるのかなって」
マリナの中でもある仮説が成立していたというわけか。たしかにオレが婚約者を探し、マリナをここへ呼び出したとしたら見限られたと思うのも仕方ない。
でもその根源となるのは失望や嫉妬からだ。
「オレ達は互いに邪推し過ぎていたわけか」
「だってマルクが治るまでは居てもいいって言ってたから」
確かにマリナに聞かれてそうは答えたが。
「だからずっと早く思い出さなきゃって、でも全然思い出せなくて、そしたらシャルルさんは婚約者を探し始めてるみたいだし、だから帰らないとだめなのかって思って、そしたら急に悲しくなって……あれ、あたし……涙なんてどうしちゃったんだろ」
オレ達の間に僅かな歪みが生じていたんだ。それは少しずつだが確実に分岐し、ここまで来てしまっていたのか。
一筋の涙がマリナの頬を伝った。
これまで抑え込んでいた感情を口にしたことでマリナの中で眠っていた思いが表に出てきたのかもしれない。
「君の中にある失われた記憶が君の感情を揺さぶったのだろう。あのリストを見たことで無意識のうちに君は嫉妬し、オレに失望したんだ」
オレは涙で濡れたマリナの頬をそっと手で拭ってやる。
「無意識に嫉妬……?」
「そう。今だってオレが触れてもあの時みたいに逃げ出さそうとは思わなかっただろう?」
「だってあの時は知らない人にいきなり抱きしめられて驚いたのよ」
「じゃあ、今は?」
「今?」
「そう、今は知ってる人だよ」
マリナを見つめ、一歩近づいた。
「近すぎて恥ずかしいわ」
「それも新たな感情だろう?あの時の君はそんな風に思うなんて思ってもいなかったはずだ。失った記憶は戻らないかもしれない。だが、想いは何度でも通じ合えるはずだ。これまでもそうだったようにね。必ずオレが君に恋をさせてみせる。何度でもだ」
「あたしは今のままでもいいの?」
「もちろんだ」
つづく