きらのブログ

まんが家マリナシリーズの二次創作サイトです。

いつかの君を忘れない 18


三時間ほど仮眠を取り、この日はマリナを連れてアンボワーズヘ向かった。 
城を見上げたマリナは初めて訪れた場所を見るような目で感嘆していた。


「素敵なお城ね!」


パリに来てから初めての外出に浮かれるマリナに反してオレは複雑な思いでいた。
君は何も覚えてないんだな……。
時間を掛けて主塔まで上り、らせん階段を降りた先の庭を横切った所でマリナが足を止めた。
マリナの視線の先にはあのダ・ヴィンチの胸像がある。
オレはマリナの動向に注視した。
何か思い出したのか?


「あの人、見たことがあるわ」


レオナルド・ダ・ヴィンチ。彼は晩年をこの地で過ごした。墓がこの先の教会にあるから行ってみる?」


するとマリナは興味を失ったのか、首を振った。


「お墓は遠慮しておこうかな。それに少し疲れたかも」


あの時は三時間は歩き回ったと言っていたが、やはりそんなことも思い出しはしないか。
その後も足を伸ばしてシュノンソー城に行ってみたが、マリナに変化はなかった。


「向こうに飾り時計の付いた円形塔があるんだが行ってみる?」


「さすがに足が棒になりそうだからやめておくわ。それよりお腹すかない?」


昼前にはシャンボールに着くからそこで食事をと考えていたが、この辺りで済ませることにした。
マリナの一番の楽しみは食事だからな。


「川のほとりに君が好きそうなレストランがあるからそこへ行こうか」


するとマリナは少し俯いた。
そうか、オレの言葉に反応したんだ。
オレはマリナの好みを知っている。
だが、マリナはそれに違和感があるのだろう。自分の知らない人間が自分を理解しているのは複雑な気待ちなのは当然か。


「すまない」


「ううん、あたしの方こそ、ごめんね」


気まずい空気が流れた。
シェール川を渡った先は多くの観光客が訪れるために多くの店が軒を連ねている。
その一つにデザートに定評のある花をモチーフにしたカフェ風のレストランがある。
車から降りるとマリナは先ほどの空気を払拭するかのように喜んでくれた。


「うわぁ、可愛らしいお店!」


観光の時期ではなかったせいか、店内は落ち着いていた。
メニューの写真を見て目を輝かせているマリナをぼんやりと見ていると、ふと目があった。


「あたし、ここにも来たこと……あるの?」


「いや、オレも来るのは今日が初めてだ。君が好きそうだなと思ったのを思い出しただけだよ」


マリナはオレが連れ出している理由を理解していて、自分が期待に応えられていないことを気にしているんだ。


「この後はどこに行くの?」


料理を食べ終え、デザートを口に運びながらマリナが言った。


「屋敷に帰るよ。午後は研究所に行かなきゃならなくてね」


そう、と言うとマリナは残っていたストロベリーアイスを頬張った。


帰りの車の中で、マリナはすぐに寝息を立てて眠り始めた。
さすがに疲れさせてしまったか。
早々に切り上げて正解だったようだ。
今日のために仕事は済ませていた。
研究所に行った所ですることはないが、あれ以上はマリナの心の負担になると思い、予定していたシャンボール行きは中止にした。
いや、本当はオレが耐えられないからなのかもしれない。
同じ時を過ごしたあの日々は、もうマリナの中にはない。
それを突きつけられることに恐怖した。
いつかの思い出も、あの時の言葉も、君の中にはまるで存在していないかのようだ。
それでもオレは、オレだけは忘れない。
君と過ごしたかけがえのない思い出は欠片の一粒さえも忘れることはない。


***


マリナを部屋まで送り、オレは研究所に行くと言って、執務室で急ぎでもない仕事を一つ二つ終わらせ、医務室へ向かった。
今日からマルクはリハビリだったはずだ。
どこまで筋力が落ちているのか、可動域はどうなっているかなどを確認しておきたい。
場合によっては今のSPのような仕事は続けられなくなる。その時、マルクが何と言うかだが、別の仕事をしてもらうことにはなる。
その辺りも含め、担当させている療法士のアーロンの話も聞いておく必要があるだろう。
医務室に入るとマルクの姿はなかった。隣の部屋でリハビリ中か?
そこへアーロンが入室してきた。


「リハビリ中じゃないのか?」


「いえ……」


アーロンは何かを言い渋っているようだ。


「何だ」


「マリナ様が……」


アーロンはチラリと隣の部屋に目を向けた。


「マリナがいるのか?」


「リハビリの前に少しだけマルクと話がしたいとおっしゃられたので、席を外しておりました」


アーロンもアルディ家で働く一人だ。
マリナの立場を理解している。
気を使って退室したのだろう。
加えてマリナがオレのことを忘れているのも知っているからこそ、オレに対して言い淀んだのか。
疲れて部屋で休んでいるとばかり思っていたが、まさか来ていたのか。


「マルク、あたし……あんたのこと」


まただ。
拭えない不安に掻き立てられるようにオレは隣室のドアをノックした。
その瞬間、ぴたりと会話が止まった。


「どうぞ」


マルクの返答を聞き終えると同時にオレはドアを開けた。
マルクはギブスをした右足を伸ばしたままの姿勢でリハビリ用のベンチに座っていた。


「シャルル様」


オレの名を呼び、それからマリナの方を見た。
視線は泳いではいないか、息を飲む仕草はなかったか、オレは観察した。
特に慌てた様子はなかった。
とは言え、マルクも訓練を受けた人間だ。
動揺しているかは読み取れない。


「怪我の具合はどうだ?」


「軟骨形成が進み、硬度も出てきたため、今日からリハビリを始めるそうです」


マリナはスカートの裾をギュッと掴んだまま、黙ってオレ達の会話を聞いていた。
まるで咎められている子供のようだ。
研究所に行ったはずのオレがここへ来たことで動揺しているのか?
それはつまり……。


「マルクの様子が気になるかい?」


「今日からリハビリをするって聞いたから様子を見に来たの」


誰に聞いた?
マルクにか?
マリナはアーロンとの接点はない。
それとも使用人から聞いたのか?
マリナと関わる人間はごく僅かだ。
だが、何気ない話からマルクの話題になっただけかもしれない。
オレは迷い、そして、それ以上聞くことはしなかった。
オレはその答えを恐れている。
マリナの健忘症を前にオレは何もできずにいた。
何をすれば、どこへ連れ出せば、マリナはオレのことを。
会いたいと言ってくれたマリナはどこへ行ってしまったんだ。


つづく