きらのブログ

まんが家マリナシリーズの二次創作サイトです。

愛のかけらを掴むまで 3

その日、あたしはアルディ家のゲストルームに泊まることになった。
ジルの家では日本語を使う習慣がなくて、何かと不便だからという理由からだった。
ここなら部屋はいくつもあるし、何より全員が日本語を話すことができる。
セキュリティの面でも本家の方が安全だからとジルに押される形であたしはしばらくお世話になることになった。

「フェリックスさんもここに泊まるの?」

歳は20代後半ぐらいかしら。
ブランドの髪は緩めのツイストスパイラルで、動きが柔らかく今時の若者って感じ。

「はい。隣のゲストルームにいますので御用の際はいつでもコールして下さい。それから私のことはフェリックスとお呼び下さい。それでは明日の10時にこちらへお迎えに上がります」

彼はジルの秘書で、シャルルの代わりに急遽ドイツへ行くことになったジルに代わってあたしについててくれることになった人。

「わかったわ」

その夜はなかなか寝つくことができなかった。あたしを見た時のシャルルの目が忘れられない。
本当に何も覚えてないんだ。
やっとパリまで来れたっていうのに、シャルルをとても遠くに感じた。
自然と涙が溢れてくる。
このままシャルルがあたしのことを思い出さなかったらどうしよう。
そういえば、たしか和矢は燃えさかる炎を見た時にすべてを思い出したんじゃなかったかしら。直後にあたしは気を失ってしまったからその辺りのはっきりとした記憶がないけど、確かに和矢は同じ景色をどこかで見たって言ってたわ。
だったらシャルルも何かきっかけがあれば思い出すかもしれない。
まさにそれがジルがあたしをここへ呼んだ理由。あたしに繋がる記憶と一緒に忘れてしまっている鍵の場所をシャルルが思い出すかもしれないってジルは言っていた。
あたしに会わせたらシャルルに何か変化があるかもしれないとそう考えて……でもあたしを見てもシャルルは何も思い出すことはなかった。
そんなことを考えているうちに空が白み始めてきた。結局、あたしは一睡もできずに朝を迎えた。


「昨夜はあまり眠れませんでしたか?」


迎えに来たフェリックスはあたしを見るなり、気遣うようにそう聞いてきた。
たぶん目を腫らしてたからだと思う。


「大丈夫よ」


フェリックスはジルからあたしのことを何て聞いているんだろう。


「では、参りましょうか」


あたしは頷き、フェリックスの後に続いた。
ジルが不在の間にして欲しいと言われたことが二つあった。
一つはこの屋敷の尖塔部分にあるという希少庫の扉を見ておくこと。
もしかしたらあたしがシャルルといた時に鍵を見たことがあるかもしれないから。
その鍵の形状をよりイメージしやすくするために、扉の形や鍵穴を見ておいて欲しいというものだった。
そしてもう一つがシャルルが思い出せるまでパリにいてほしいということだった。
懇願するように言われて、あたしは断り切れず、それを受けた。
ジルが決して鍵のことだけが目的じゃないのはわかっていた。あたしのことを忘れたままのシャルルを見ているのか辛いんだ。
それにあたしだって、シャルルに忘れられたままでは帰るに帰れなかった。
シャルルにすべてを思い出してもらうためにあたしはここに残ると決めた。
あたしがそう言った時、ジルは涙を滲ませていた。
あたしにとってそれがとても辛いことだとわかっていたからだと思う。


「こちらです」


階段を上り切った先にそれはあった。
中世ヨーロッパのお城の門扉のようなウォルナットのどっしりとした重厚感のある扉は流れた月日の長さを感じさせる物だった。扉全体に鋳物の部材があしらわれていてとても趣のあるものだった。


「こんな物があったのね」


アルディ家に来たことは何度もあるけど、こんな所には普段は来ないものね。
あたしが感心しながら言うと、フェリックスは同意見だというように頷いた。
そして鍵穴の部分を指差した。


「錠前はいわゆる鍵穴の形状で、中は筒状になっていてウォードと呼ばれる円心円状のプレートがいくつもあり、これが鍵に付いたウォードと合致した時にのみ解除します。見覚えはありませんか?」


「まんがとかに出てくるような昔の鍵みたいな物ってことね。そういうのは見たことないわ」


「まんが、はあまり馴染みがないので答えにくいのですが、昔の鍵だというイメージで間違いないと思います」


はにかむように言うのを見てあたしは少し緊張が解けたような気がした。


「フェリックスはまんがとか読まないの?あたしは日本でまんが家をやってるのよ。だからってわけじゃないけど、まんがしか読んだことないかも」


するとフェリックスは驚いた顔をした。


「マリナ様は読書はしないのですか?」


「読書はしないわね。あと、あたしにも様はいらないわ。そんな柄じゃないし、マリナって呼んでちょうだい」


「いえ、それは……」


フェリックスは困ったように髪をぐしゃぐしゃっと掻いた。


「私はアルディ家に仕える身です。シャルル様の、その……大切な方を気安く呼ぶことはできません」


忘れていたわけじゃないけど、急に現実を目の前に突きつけられたような気がした。


「ジルからあたしのこと、何て聞いてるの?」


「シャルル様のファム・ファタルだと聞いております」


ファム・ファタルか……。
ジルからその話を聞いた時は、なんであたしなの?って思ったんだっけ。あたしはシャルルに何もしてあげてないのに、どうしてって。


「でも今のシャルルは忘れちゃってるんだもの。あたしはただのマリナよ。それにマリナ様だなんて呼ばれたら余計に辛いわ。だからマリナって呼んでちょうだい。これは鍵探しに協力する交換条件よ。ね?」


そう話すとフェリックスは真剣な眼差しであたしを見た。


「わかりました。ではマリナ、とお呼びします」


「うん、そうしてちょうだい。あとその、堅苦しい敬語もやめてもらえると助かるんだけどね。ずっと横にいて敬語で話されてると疲れちゃうわ」


「それはご容赦下さい」


そしてフェリックスはまた髪をぐしゃぐしゃっと掻いた。
フェリックスは困ると髪を掻く癖があるんだわ。子供みたいでちょっと可愛い。


「じゃなかったら協力するのはやめて日本に帰ろうかな」


様子を伺うようにちらっと横目で見ると、フェリックスはさらに髪をぐしゃぐしゃと掻いた。
でも不思議と乱れた髪もそれはそれで格好がいい。整った顔立ちのおかげで何をしても似合うってことなのかもしれない。
今度、彼をあたしのまんがに相手役として登場させることにしよう。


「いや、それは……。わかったから帰らないでください、じゃなくて、帰らないで」


仕事モードで敬語を使わずに話すのってフェリックスにとっては難しいのかもしれない。でも今のあたしには普通に話してくれる人が側にいるだけで心強い。
シャルルに忘れられてしまった悲しみで心にぽっかりと穴が空いてしまったあたしにとってフェリックスは数少ない理解者でもある。


「ありがとう、フェリックス。そしたら買い物に行きましょう」

 

 

 


つづく