静かにドアが閉まり、完全に和矢の姿は見えなくなった。あたしはただぼんやりとその様子を見ていた。
もっと責められると思っていた。でも和矢は自分のことよりもあたしのことを一番に考えて、恨みごと一つ言わずに行ってしまった。
シャルルとの話を聞いた時の和矢の気持ちを考えたら、あたしはなんて酷いことをしてしまったんだろう。
直接言われた方がよっぽどマシだわ。
それをあんな形で知った和矢がどれほど傷ついたか。
「何を考えてる?」
「もっと別の伝え方があったんじゃないかなって」
シャルルが後ろからふわりとあたしを抱きしめ、その胸の中に包み込んだ。
「オレが君に言わせたんだ。君は何も悪くない。まさか和矢があの場に来るとは思わなかった。オレのミスだ」
たしかにシャルルは強引にあたしに話をさせようとしたわ。
でもあの時、あたしはシャルルに話して楽になりたいって思ったんだ。
別れたいって思った理由だけは最初、伏せてたけど、シャルルにオレは信用できない人間なのかって言われて、それで、、、そうだ、あたしはシャルルに話を引き出させられてたけど、それは理由の部分だけだ。知る権利があるとか言われて押し切られて話をしたのも理由だった。
もしかしてシャルルは強引にあたしに話をさせたって事にするためにあんな言い方までして理由を聞いたの?
和矢との話が拗れた時、あたしが苦しまないようにわざと言わせたんだ。
とこまでもシャルルはあたしのことを思ってくれているんだ。
あたしはシャルルの腕にそっと手を添えた。
「そうやって自分のせいにするためにあんなに聞いたのね。どこまで優しいのよ」
「君が何よりも大切だからね。君がオレを選んでくれるならオレは、どんな苦しみからも君を守りたいと思っている」
耳元に届くシャルルの言葉をあたしは噛み締めながら聞いていた。
どれだけ大切に思ってくれているのかが、言葉だけじゃなく、その温もりからも伝わってくる。
あたしはシャルルの腕を解いて振り返った。青灰色の瞳にあたしの姿が映った。
「離れてから気づくなんてあたしは本当にバカだったわ。何度も諦めようとしたけどこの想いは止められなかった。もう二度と離れたりしないわ」
シャルルは自分の心に刻み込むようにあたしの言葉を聞いていた。あたしは手を伸ばしてシャルルの頬に触れた。
「シャルル、好きよ」
瞬間、シャルルに体ごとさらわれ、あたしは息もできないほど強く抱きしめられた。
「あの日から一日だって君を忘れた日はなかった。君の幸せをずっと願っていた。まさかこの手で君を幸せにできる日が来るとは思ってなかった。マリナ……」
手を緩めてシャルルはあたしの肩に手を置くと、息がかかるほどの距離からあたしを
真っ直ぐに見つめる。
「愛してる。君だけを永遠に愛してる」
そしてその瞳にあたしを映しながら、ゆっくりと頬を傾けた。
***
シャルルの部屋には前に一度だけ来たことがある。あの時はルパートに追われて緊迫していたせいか、何とも思わなかったけど、あらためて天蓋付きの大きなベットを目の前にするとドキドキする。
今夜はシャルルと一緒に寝るのよね……?
浴室に用意されていたバスローブを着てみたけど、こんなの着たことないからどうも落ち着かない。
しかもどこに居たらいいのかわかんなくてソファに座ってみたもののしっくりこない。
「軽く何か飲む?」
シャワーを終えたシャルルがまだ少し濡れた髪をかき上げながら戻ってきた。
バスローブの胸元が少し開いていて、あたしは目のやり場に困った。
「あ、うん」
変に意識して声が掠れてしまった。
そんなあたしの心の内に気づくはずもなく、シャルルはアンティーク調のキャビネットからグラスを二つとすぐ横にあるセラーから薄翠色のボトルを取り出した。
「ミルズのスパークリング。夕食の時も飲んだから、少しアルコールが軽めの物にしよう」
シャルルが隣に来た瞬間、ふわりといい香りがした。浴室にあったシャンプーとかボディソープとは少し違うような。
「ごめん。この香り、苦手だったか?流してくるよ」
シャルルが立ち上がりかけたのを慌てて止めた。
「ううん、違うの。シャルルからいい香りがするなって思ったのよ」
「それなら良かった。寝る時はリラックスしたくて付けてるんだ。最近気に入ってるのがこのプラチナムエゴイストってやつなんだ」
「あたしもそれ、シャルルと同じのを付けてみたい」
「いいよ」
そう言うとシャルルは立ち上がった。
シャルルの寝る前の習慣とかあたしはまだまだ何も知らない。それをこれから一つずつ見られるんだって思ったら胸が熱くなった。
「手を貸してごらん」
シャルルは浴室から香水の瓶を持ってくるとあたしの手を取って手首にシュッとそれを吹きかけた。
「こうして手首同士を擦り合わせて、耳の後ろ辺りにもそれを付けるんだよ」
シャルルのやるように見よう見まねでやってみた。瞬間、柑橘系の爽やかな香りとエキゾチックさが入り混じったような大人の香りにあたしは包まれた。
するとシャルルはさりげなく座り直してあたしから離れた。
「なんで離れるの?ちょっと付けすぎたかしら?でもやってくれたのはあんたよ」
「そうじゃなくて」
「それなら避けなくてもいいじゃない」
シャルルの歯切れの悪い言い方にあたしは頬を膨らませて拗ねて見せた。
するとシャルルは小さく息をついた。
「わかった。でももう止められないからね」
そういうと突然、シャルルがあたしの体をソファの背に押し付けるようにあたしを囲い込んだ。
いや、距離の縮め方が極端よ?
「オレは今、オレと同じ香りを纏った君に欲情してる」
え?
息がかかりそうなほどの距離でそういうとシャルルはあたしの顎を摘んで上向かせると唇を重ねた。
情熱的なキスにあたしは頭がくらくらしそうになった。
「ちょっと、待って」
わずかに唇が離れた隙に何とかそれだけは言えた。
だけどシャルルの瞳は熱く、あたしを求めて激しく揺れた。
「離れるなと言ったのは君だよ、マリナ」
そういうとシャルルはソファにあたしを押し倒した。わずかに濡れたプラチナブランドがあたしの頬にこぼれ落ち、青灰色の瞳があたしをじっと見据えている。
「君のすべてが欲しい」
どう答えていいのか困ったあたしは咄嗟に口走った。
「ワインを飲むんじゃなかったの?」
するとシャルルは妖艶な笑みを浮かべた。
「君を愛した後に一緒に飲もう」
fin