あたしの言葉に男の人は息を飲んだ。
「では、オレが誰かわかるか?」
躊躇いながらあたしは首を横に振った。
すると男の人は小さく頷くと、
「そうか。オレはシャルル・ドゥ・アルディ。君の、いや……」
彼はそこで一度言葉を飲み、そして再び続けた。
「君たちの友人だ」
「シャルル・ドゥ・アルディさん……」
あたしに外国人の友達がいたなんて何だか不思議な感じがした。一体どうやって知り合ったんだろう。そうは思ったけどあたしはこの場所を夢で見た。
きっと遊びに来たりもしてたんだわ。
「そう。気軽にシャルルと呼んでくれ。ずっと君はオレをそう呼んでくれていたからね」
男の人の青灰色の瞳が切なげに揺らめいた。
「シャルル……」
慣れない言葉を口にする感覚に違和感はあったけど、同時にどこか懐かしさもあった。
「詳しい経緯を聞きたい。でもその前にあいつをどうにかしよう」
男の人は立ち上がり、彼に近づくと体を揺すった。
「おい和矢、大丈夫か?」
すると彼はうめきながら黒い瞳をゆっくりと開けた。
「立てそうか?」
「あぁ」
彼はバツが悪そうに唇から滲み出る血を手の甲で拭いながらゆっくりと立ち上がった。
「痛っ……」
「うちのボディーガードを相手にするからだ」
「お前に頼みがあってな。さすがに順番待ちしてられなかったんだ」
「そのようだな。詳しい話が聞きたい。その前にまず君の処置をしよう」
そんな二人の姿を見ていた時、頭の中に突然、ある光景が戦慄のように浮かんできた。
【送らないぜ。立てないんだ】ふっと息を吐き、そう言った彼の姿と今、目の前にいる彼の姿が重なった。
ケガをした彼と、このシャルルって人…あたしどこかで見たことがある。
「……リナ?大丈夫か?」
その声にハッとして我に返った。
「あ、うん」
「でもさっきみたいな事がいつまた起こるかわからないから、和矢の処置が終わったら少し体を休めるといい。部屋を用意させるよ」
***
処置を終えるとあたし達は二階にあるというゲストルームに案内してもらった。
「こちらの部屋をお使い下さい。バスルームの準備はできております。着替えなども整っておりますので夕食の時間までどうぞお寛ぎ下さい。では何かございましたらお呼び下さい」
えっ?
お寛ぎ下さいって彼と同室なの?
「あの、すいません。この部屋だけですか?」
帰ろうとするメイドさんを彼が呼び止めた。
「シャルル様よりこちらに案内するようにと仰せつかったのですが」
「他に部屋は空いてませんか?」
「何か、お気に召しませんでしたでしょうか?」
メイドさんは戸惑いを隠せないようだった。
「いや、そうじゃなくて、もう一つ部屋を用意してもらえないかと思って」
「ご一緒でと伺っておりましたので、すぐに確認してまいります」
どうしよう?
男の人と同じ部屋で過ごすなんて緊張しちゃう。
「そんな不安そうな顔すんなよ。もし部屋が空いてなかったら俺、シャルルの部屋を使わせてもらうからさ」
「う、うん」
彼には友達だと言われたけど、その距離感をあたしは未だに掴めないままだった。
それから待つこと数分。
さっきのメイドさんはすぐに戻ってきた。幸い他にも部屋は空いていたらしく、あたし達は夕食までの時間をそれぞれ過ごすことにした。
初めに案内された部屋はあたしが使うことになった。
一歩中へ入ると白を基調とした家具でまとめられいるとても素敵な部屋だった。
奥へ進んでいくと二つ並んだベットが目に飛び込んできた。
彼が別々の部屋にしてほしいってメイドさんに言わなかったら、今夜はここで二人で並んで寝るとこだったのかと思うとドキドキしてしまった。
だけど考えてみれば、シャルルって人はどうしてあたし達を同じ部屋にしようとしたのかしら?
部屋は他にも空いているなら最初から別々にしてもいいはずたわ。それなのに一緒にしたってことは、もしかして?!
記憶を失くす前はここへ遊びに来たら当たり前のようにあたし達は同じ部屋を使っていたのかもしれないんだと思った。
もしかしてあたし達は恋人同士だったの?
そう考えればこの部屋に案内されたのも不自然じゃない。
もしそうだとしたらあたしは彼にどれだけ辛い思いをさせているんだろうか。
あたしが彼の立場だったら早く思い出してって思うわ。
それなのに彼はいつの間にか記憶の手がかりになりそうな過去の話をしなくなった。
あたしが話を聞くのが苦痛だと感じていることに気づいていたからなんじゃないかと今さらながら思った。
たしかにあたしの態度や表情に出ていたのかもしれない。
彼は自分のことを思い出してもらうことよりも、あたしのことを考えてくれてたってこと?
過去の話がきっかけになって記憶が戻ることもあると知りながら、彼はそうすることをやめた。
それはきっとあたしのためだ。
あたしが苦しむくらいなら自分がどんなに辛くても耐えようとしてくれてたのかもしれない。
そう考えていくうちに、それが真実のように思えてきた。
思い出したい。
思い出さなきゃ。
さっき見た二人の光景を思い返してみた。何かのきっかけになるかもしれない。
だけどすぐに頭が痛くなってきた。ドクドクと脈を打っている。
だけど今、考えるのをやめたらまた思い出せないままだ。
あれはきっと何かで争った後だわ。二人とも血が滲んでいた。
すると突然、頭の中で彼の声が聞こえた。
【俺は待たない。約束もしない。今、ここで】
彼がまっすぐにあたしを見ている。
あたしの中に悲しみと怒りの感情が一気に流れて込んだきた。
頭の奥の血流が暴走したかのように血管がドクドクし始め、あたしはたまらずに頭を押さえながらそのまま意識を失った。
つづく