「そこまでだ。あとは日本へ帰ってからやるんだな。さあ、行くぞ」
試合を中断させる審判のように黒柴は両手を左右に掲げ、空を切るように振った。
これで何もかも終わりだわ。
シャルルと会うことも、フランスを訪れることもすべて。
あたしは観念し、左右から二人に挟まれるような格好で歩き出した。
「待て」
シャルル?
話に水を差されたのが不満だったのか、行く手を阻むようにシャルルがすっとあたし達の前に立った。
「警備局による拘束権の発動は大使の許可が必要だったはずだ。一体いつから一般警備員にその権限が与えられるようになったのか教えてもらおうか」
シャルルの挑発的な口ぶりは一歩も引く気はないと言っているようだ。
もしかしてシャルルはあたしを助けてくれようとしてる?
「……っく!」
黒柴は忌々しげにシャルルを睨む。
「緊急時には我々にも権限が一部与えられている」
取って代わったようにもう一人の男が黒柴を抑えて、一歩前へ出た。
こっちの男の方は力で通そうとする黒柴と違って頭がキレるみたいだわ。
そっか、あたしが騒ぎ出したのも緊急だったからこの場合、警備員にも、ある程度の権限があるんだ。悔しいけどどうしようもない。
「緊急といえば通るとでも思ってるのか」
シャルルはくだらないといった口調で完全に男を下に見ている言い方をする。
「国際外交関連条約における緊急状態理論は違法性阻却事由として他国による侵害および武力抑止とされる。
つまり武器など持たない個人を相手に、緊急性があったと主張したところで果たしてそれが認められるか、だな」
黒柴は忌々しそうにシャルルに向かって吐き捨てるように言った。
「こういう事は、よくあることだ」
黒柴は怯むどころか、悪びれる様子もなく開き直ったが勝ちと言わんばかりだ。
「狭義の無権行為の慣習化か。さらに大使館内の問題は山積みのようだな」
シャルルの視線が鋭くなる。
「さっきから何なんだ?!お前は一体何者だ?」
「シャルル・ドゥ・アルディだ」
「あんたの名前なんて聞いちゃいなーー」
「おい、黒柴やめろ!」
直後、慌ててもう一人の男が黒柴の言葉を遮る。
「何だよ?」
「黒柴やめとけ。彼はアルディ公爵だ」
「公爵?」
この男、アルディの名を知ってるんだわ。
黒柴はまだ状況がわからないって顔をしている。
「来月予定されている特殊警備プラスで大使と共に俺たちが警護担当するフランスの要人が、彼だ」
「嘘だろ……?」
黒柴は言葉を失ったようにシャルルを見つめるばかりだ。
「要人に知り合いがいるなら先にそう言ってくれ」
もう一人の男はため息をつき、小声であたしにそう言うと、シャルルへと向き直った。
「拘束権を撤回するということで今回の件、貴方の胸一つに収めていただけませんか?ただ一つ、頼みがあります」
男はそこでいったん言葉を切ると、あたしへと視線を向けた。
「何だ?」
「彼女が帰国するまでの間、彼女の身元保証を貴家でお引き受け頂きたい」
え?
ちょっと待って。アルディ家になんて行けないわ。ましてやシャルルが婚約者と一緒にいるところなんて見たくはない。
「いいだろう。ただし、こちらからも一つ条件がある」
「何でしょうか?」
男達の緊張が伝わってくる。息を飲む音がここまで聞こえて来るようだわ。
「不当な扱いに対しての謝罪を彼女にしてもらおうか」
シャルルは鋭くえぐるような冷ややかな眼差しで男たちを見据えた。
たちまち彼らの表情が曇った。
同時にあたしは胸の奥がじーんと熱くなった。シャルルはあたしの名誉を回復してくれようとしてるんだ。
シャルルの優しさが胸にしみる。
あたしの前に男たちは立った。
「数々のご無礼、大変申し訳ありませんでした。アルディ公爵共々どうか、この件はお忘れ下さい」
「こちらこそ、お騒がせしてすいませんでした」
あたしはそう言って深々と頭を下げた。
「では、行くぞ」
つづく