「やっと君の心に触れることができた」
シャルルは頬を傾け、ゆっくりと長いまつ毛を伏せた。誘われるようにあたしも目を閉じる。
その瞬間、中庭で見たシャルルと美紗さんの姿がフラッシュバックした。
思わずシャルルから顔を逸らし、ここは廊下だからと俯いてその場をごまかした。
「そうだな」
辺りに人の姿はなかったけど、シャルルは特にそのことは気にしてないようだった。
あたしだってシャルルに触れたい。
だから早く忘れてしまうのが一番よ。
いつまでも覚えてたっていいことなんてないもの。自分に言い聞かせるように小さく首を振った。
三階の最奥がやっぱりシャルルの私室だった。隣は《chambre M》と書かれたあの部屋。
ぼんやりと光るプレートを見ながらふと思ったの。
日本人って理由だけで美紗さんを助けたとシャルルは言ってたけど、それならどうしてわざわざこの部屋にしたんだろう。
部屋なら他にだっていくらでもあるはずなのに?
シャルルが何も考えず部屋を割り当てるはずがない。彼女をこの部屋にしたのにもきっと意味があるはずよ。
不安が胸の中で広がっていく。
シャルルは永遠に愛しているとあたしに言ってくれた。
だけどそれはあたしを一番に思ってくれるってことで、他の人とそういうことはしないって事とは少し違うのかもしれない。
考えたくはないけど二人は割り切った関係で、シャルルは少なくともそれを望んでいて美紗さんをあの部屋へ。
そして美紗さんだけが本気になってしまったとも考えられる。
「どうした、ぼんやりして」
いつの間にかシャルルは部屋のロックの解除を終えていた。
「あ、うん。何でもない」
先に入るように促されてあたしは一歩、中へと入った。
シャルルは後ろ手に鍵をかけると、さっとあたしの腰に手を回して引き寄せ、自分の体をぐっとあたしに押し付けた。
壁とシャルルの間で逃げ場のなくなったあたしにシャルルはゆっくりと頬を傾けてきた。
だけどあたしはまたしても顔を逸らしてしまった。
青灰色の瞳が挑戦的に光る。
「ここなら誰も見てないよ?」
「ごめん、急にだったから、つい」
「愛してるよ、マリナ」
そういって仕切りなおすように近づいてくるシャルルを前にあたしはぎゅっと硬く目をつぶった。
だけど待てど暮らせど一向に何も来ない。
ゆっくりと目を開けてみると、シャルルは寂しげな顔をしていた。
「シャルル?」
「無理しなくていいよ。君が無事ならオレはそれでいい」
シャルルはあたしが拒絶してると思ってるんだ。
「待って、あたし無理なん……」
「いいから。そこがバスルームだ。ゆっくりと温まっておいで。その間に夕食の用意をさせておくよ」
シャルルは最後まで聞かず、でも自分の感情を無理やりに押し殺してるのはわかった。
あたしはシャルルとのキスが嫌なんじゃない。でもまだ中庭でのことがあたしの中で処理しきれてないだけ。
それに、美紗さんとの関係もやっぱり気になる。
でもシャルルにあんな顔はさせたくない。
だから不安な気持ちをちゃんと話そうと決めた。
「聞いてシャルル。あたし嫌とかじゃないの。だってあんたが好きだから。でも中庭でキスしてたあんたと美紗さんのことを思い出すと胸が苦しくなって、それに……」
その先はさすがに言いづらくて言葉を飲んだ。二人はそういう関係だったのかなんて聞けない。
「それに?」
「……」
答えられずに黙り込んだ。
シャルルはあたしを探るようにじっと見つめている。
あたしは考えている事が顔に出ちゃうんじゃないかってハラハラだった。
だけどシャルルはあたしに視線を向けながらも、実はもっと別の空間でも見ているかのような遠くを見るような表情になっていく。
もしかして発作??と思ったのは一瞬で、すぐに息を吹き返したようにその瞳を光らせた。
「まずは、君の1つ目の不安から取り除いていこうか。中庭で君が見たというのはオレではない。さっきは追い詰めるような言い方をしてすまなかった。オレに何か隠してるのは気づいていたが、それが何かを吐き出させるために、わざと揺さぶりをかけたんだ。おかげで中庭で君が見たことを聞けたんだけどね」
見られてたことがバレて行き詰まったのか、よりにもよってシャルルは自分じゃないと言い始めた。
あたしがシャルルと他の誰かを見間違えるわけないじゃない。
「あれはシャルル、確かにあんただったわ」
そうよ。
たしかに薄暗いし遠かったけど間違いない。寒そうにしていた美紗さんにコートを貸してあげてた。
あ……っ!
あの時のコート!
あたしは自分の身につけているコートを思わず掴んだ。
ミシェルが着てろってクローゼットから出してきた物だけど、たしかに美紗さんに貸していた物と似ているようにも思えた。
じゃあ、あれはミシェルだったって言うの?
でもミシェルには無理なんじゃ。
あたしの考えてることがわかったのか、シャルルはそうだというように頷いてみせた。
「でもあの部屋にはロックが掛かってるのよ?どうやって中庭に行ったの?もしかしてお屋敷の中にミシェルの協力者がいるってこと?」
そうなればあれはやっぱりミシェルで、シャルルと美紗さんの間には何もなかったことになる。
沈みかけていた気持ちが軽くなっていくようだった。
「いや、使用人の中に協力者がいるとは考えにくい。ミシェルには専用のハウスキーパーが一人、食事係りが一人いるが、彼らには電子ロックの解除権を与えている。だが、その全ては記録として残され完全に管理されている。もし不正解除があれば誰が開けたのかはすぐにわかる仕組みだ。どちらにしろ実権のない今のミシェルに協力したところで彼らにメリットはない。ゆえにこれまで一度もそういったことは起きていない」
「じゃあミシェルはどうやって外に出たっていうの?まさか飛び降りたわけじゃないよね」
「発想としては悪くないが、それだと降りられたとしてもこの部屋には戻ってこれないよ」
鍵がかかってるんだからそうだよね。
うーん、難しい。
というよりもシャルルはその答えを知っていて、あたしをわざと焦らそうとしているんだ。
「あんたには分かってるんでしょ?もったいぶらずに教えてよ」
「もちろん全部わかってるよ。ただし、一つ条件がある」
その声は低く、怒りが混ざったような青灰色の瞳が冷凍光線のように鋭く光った。
「君は永遠の愛を誓ったオレを疑いーー」
あっ……。
「他の男の香りのするコートにその身を委ねーー」
別に委ねてるわけじゃ……。
「何度もキスをはぐらかしーー」
2回だけよ……。
「最後には仕方ないと言わんばかりの態度でオレのキスを受け入れようとしたーー」
別の覚悟を決めた感じだったのよ。
「だから、マリナ。君からキスしてよ。そしたら教えてあげるよ、何もかも……」
そういったシャルルの表情はまるで拗ねた子供のようだった。
たまらずにあたしはシャルルの胸の中へと飛び込み、唇を重ねた。
シャルルはわずかに唇を浮かせると、触れるか触れないかの距離で愛を囁く。
その甘やかな吐息に誘われるようにあたしは深く唇を重ねた。
つづく