マリナにはオレの車でホテルへ行くように言い残し、病室をあとにした。
一階受付で施設を利用させたもらった礼を言い、治療費の清算を済ませた。
実際に治療にあたったのはオレだが施設を利用して行った行為は病院の利益として帰属する。
マリナはきっと勝手なまねをしたと怒るだろう。だがマリナの所持品の中に被保険者証はなく代わりに資格証明書があった。つまりこれは保険料の未納が続いているため医療機関を受診した場合、十割の自己負担となりちょっとした額になる。マリナがためらいなく払える金額ではないと判断した。
オレはタクシーで会場に戻るとパリの研究所から同行させていたダニエルと合流し、シンポジウムの開かれるコンベンションホールへと向かった。
開始まで残り三十分を切っていた。
「さすがはパリの誇るアルディ博士の参加という事で近年稀に見る傍聴希望数だったらしいですよ」
ダニエルはどこか誇らしげに軽口をたたいた。たしかにこういった会議にオレが参加することはほとんどない。
そもそも他人と意見交換をする事の意味がないからだ。オレと同等もしくはそれ以上の優れた知識を持ち合わせた者は存在しない。全くもって興味はない。
その時胸ポケットの携帯が振動した。
会場入りするためにバイブレーションにしていたからだ。
ジルか?
携帯の画面には見知らぬ番号が表示されていた。誰だ?
不審に思いながらも今回のシンポジウムの関係者かもしれないと思い画面に触れた。
「Allo?」
相手の様子を伺いながら電話に出た。すると相手は日本語で話し出した。
「恐れ入ります。私、慶西総合病院の西谷田と申します。こちらはアルディ博士の携帯電話でしょうか?」
西谷田はマリナを運び込んだ病院の事務部長だ。だが、彼がなぜオレの番号を知っている?
「そうだが、どうかされましたか?」
すると西谷田は慌てた様子で話しを続けた。オレはそれを聞きながらまるで目の前の景色がぼんやりとしていくようだった。
マリナが転落?!なぜ?
状態はっ?!意識はあるのか?!
ぼんやりとした霧を一掃するかのようにオレの脳内が覚醒していく。
「それでマリナは、彼女の容体は?!」
西谷田から出てきたのは信じがたいものだった。
頭部強打による脳出血。緊急オペが行われたがまだ意識は回復していない。
「アルディ博士?」
そばで控えていたダニエルが困惑した様子でぼんやりとしていたオレを呼ぶ。
「アルディ博士、シンポジウムがまもなく始まります」
動けずにいたオレを追い立てるようにダニエルは言った。開始まで時間がないのは分かっていた。だが今はシンポジウムに参加している場合ではない。
「オレは病院へ向かう。ダニエル、ヴィオレーヌ教授にそう伝えてくれ」
研究所で働く者は誰一人としてオレに意見をすることはない。しかしさすがのダニエルも首を縦には振らなかった。
「しかし!それではヴィオレーヌ教授が納得されません!今回のシンポジウムへの参加は無理を言って……」
ダニエルの言葉を遮るようにオレは声を荒げた。
「それでもだ!責任は全てオレがとる」
迷っている場合じゃない。
一刻も早くマリナの元へ行かなければならない。頭部損傷は時間との闘いだ。
つづく