サラとの約束の日まで私はシャルルとなかなか会えずにいた。同じお屋敷にいるのに顔も合わせないなんてシャルルがわざとそうしているのか、本当に忙しいのかは分からない。
もうこうなると改めてシャルルを説得する気にはならなかった。
あの日から私はサラとお屋敷の中で会う度に「また後でね」と声を掛けるようになっていた。
仕事が一段落すると私の部屋に来てお茶に付き合ってくれた。でもあまり長居をすると怒られてしまうと言ってサラはすぐに仕事へ戻っていく。
そんな日々を過ごしているうちに私たちは仲良くなっていった。
いつしかサラとの時間が私の楽しみになっていた。
「私、今日は忙しくて…。もう行きますね。マリナ様、ごめんなさい。」
「仕方ないわよ。気にしないでね。」
その日はサラが落ち着かない様子で早々に戻っていった。
忙しいなら引き止められないものね。
メイド服も普段は半袖なのに今日は長袖だったし今日は特別な何かがあるのかしら?
そして約束の日…シャルルは朝早くに出掛けて行ったようだった。
私は少しだけシャルルに黙っていく事を躊躇っていた。
結局あれ以来シャルルとは話もしていない。このまま遊びに行っていいのか悩んだ。でも、少しだけ…そう自分に言い聞かせて私は出掛けることにした。
お昼過ぎになって私は頼んでおいたシフォンケーキとクッキーを持って用意してもらってた車に乗り込んだ。
私はいつしか車の窓から見える景色に目を奪われていた。
こうして1人きりで出かけるのは初めてだった。そして見た事のない街並みは新鮮でシャルルに反対はされたけどやっぱり来て良かったと思い始めていた。
白い5階建のアパルトマンの前で車は停まった。同じ形の窓がたくさん並んでいて、まるで団地のようだった。
「ようこそ、マリナ様。狭いとこですがどうぞ入って下さい。」
中はフランスらしく梁がある部屋でこじんまりとした可愛らしい部屋だった。隙間風が入る木製の窓からは中庭が見えた。
中庭と言ってもそこはコンクリートの雑然とした物置のようなスペースだった。
2人用のダイニングセットが置かれていて私はそこに座り、サラは目の前の小さなキッチンで私の持ってきたケーキと紅茶を準備してくれていた。
「友達の家に遊びに来るなんて日本にいた頃を思い出すわ。
サラ、誘ってくれてありがとう。」
手を休めて私の方へ向き直って言った。
「こうしてマリナ様が家に来て下さるなんて夢みたいです。私のような者と親しくしてもらえるなんて、本当にすいません…。」
その時、玄関の扉が開く音が聞こえてきて若い男性が入って来た。
サラは彼の隣に寄り添うようにすると私に紹介してくれた。
「婚約者のジョンです。こちらはアルディ家のマリナ様。今日はマリナ様に彼を紹介したくて呼んでいたのです。」
黒髪が短く整えられていてとっても爽やかな青年だった。
「初めましてジョン、私はマリナ。サラにはいつも良くしてもらっているの。
2人はとてもお似合いね。」
2人はリセで知り合い、卒業後に街で偶然再会して付き合うようになったと教えてもらった。私もシャルルとの出会いを少しだけ話した。あれこれ話すとシャルルがきっといい顔しないものね。
話は尽きる事なく私は時間も忘れて心から来て良かったと思っていた。
夕日がパリの街を赤く染め始め、お礼を言って帰ろうとする私をジョンは引き止めた。
「まだいいじゃないですか。良かったら夕食もぜひ一緒にしませんか?」
ありがたい言葉だったけどシャルルが帰宅する前に私はお屋敷に戻りたかった。
「せっかくだけど帰らないといけないの。今日は本当にありがとう。」
私がコートに手を伸ばすのとジョンが私のコートを掴むのが同時だった。
私はびっくりしてジョンを振り仰いで見た。
「まだ帰ってもらったら困るんだよ。」
ジョンの態度が急に変わった。
「何言ってるの?」
その時、玄関の扉が開かれ振り返るとシャルルがいた。圧倒的な威圧感を纏い、およそ似つかわしくないアパルトマンの玄関先に突然現れたシャルルに私達はただ呆然とするばかりだった。
「マリナから離れろっ!」
ジョンに侮蔑の視線を浴びせると拳を握りジョンに殴りかかった。鈍い音と共にジョンは呻き声をあげ、床に倒れこんだ。
「きさまっ!」
苦しげな表情でシャルルを睨みつけている。口内が切れたみたいで血が出ている。流れ出す血を手の甲で拭っていた。
一瞬の出来事に何が起きてるか理解できないでいるとシャルルは私の手を握り玄関へと歩き出した。
「さあ帰るぞ。」
「ちょっと待ってよ、シャルルっ!痛いってば!引っ張らないでよ。」
私の声はシャルルには聞こえてないかのように歩き続け、待たせてあった車に私を押し込むと自分も乗り込んできた。
「出せ。」
一言だけ言うとシャルルは黙ってしまった。私はシャルルの乱暴な態度に腹が立っていた。
「ちょっとシャルル、ちゃんと説明して。」
「オレは、だめだと言ったはずだ。
マリナ、オレに黙ってなぜ出掛けたりしたんだ?」
シャルルは明らかに怒っている様子だった。正直ここまで怒るとは思っていなかった。
「何度も言おうとしたけどシャルルは出掛けてて会えなかったじゃない。」
「オレの部屋を訪ねてくれば済む事だ。それでも君は1度も来なかった。言う必要がないと君はどこかで思ってたんだ。」
私は何も言い返せなかった。
シャルルの言う通りだった。たとえ反対されても私は黙って出掛けようと思っていた。友達の家に遊びに行くだけだと軽い気持ちだった。
2人は無言のまま車はお屋敷に着くとシャルルは私の腕を掴んだまま部屋へ入った。その乱暴な態度に私も次第にイライラしてきた。
「ちょっとさっきから何よ!
勝手に出掛けたのは悪かったけど、そんなに怒ること?私だって外出ぐらいしたいわよ。いちいちあんたの許可を取らなきゃいけないの?
私はあんたの所有物じゃないわ!」
シャルルの瞳に哀しみの光が走った。もどかしさに苦しみ、耐えているように見えて私は言い過ぎた事を後悔した。
でももう後に引けなくなっていた。
「好きなだけじゃ満たされないものだってあるわ。私は自由にしたいの。
何から何まで管理されるなんて御免だわ。私、あんたとやっていく自信がない。」
言葉は止まることなく溢れ出していた。本当はこんな事言うつもりなんてない。悔しさと哀しみの涙が床を濡らしていく。
涙を拭い、頬を包みこむ温かい手は差し伸べられる事はなかった。
「そうか…。」
シャルルの声は震えていた。
つづく
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リクエスト、痴話喧嘩のはずが…