きらのブログ

まんが家マリナシリーズの二次創作サイトです。

愛は記憶の中へ 1


あの日、オレは自らの思いを終わらせた。
後悔はしていない。
空港で再会した二人を見た時、やはり彼女の幸せはオレと共に行くことではないと確信した。
ただ、夢を見ただけだ。
無理に忘れるでもなく、かといって容易に思い出すこともないよう、心の奥底へとそっと眠らせた。
彼女のことで心乱されることなく、ただ虚無の中へと意識を戻すだけのことだ。そう自分に言い聞かせ、彼女を連想させる全てのことを避けるように今日まで過ごしてきた。

***

脳神経構造学学会に参加するため、オレは市内にあるロッサネル国際ホテルへ来ていた。
何度か利用したことがある。
ドゴール空港からも近く、立地条件は良いのだが、どうやら国内向けというよりは海外からの利用者がターゲットなのだろう。車寄せのスペースがそれほど広くないのが一つ難点だ。
渋滞とまでは言わないが、ホテルの玄関前にしては送迎の車で混雑しているといった印象が拭えない。

会議を終え、参加者とひと通りの挨拶を済ませると一階フロアにあるラウンジ横を通り過ぎ、ホテルの正面玄関を出た。
見上げれば今年もまた並木道の街路樹がゴールドのイルミネーションで飾られ、パリの街が騒がしくなってきた。キリストの降誕を祝う祭りに浮かれる恋人達を横目にオレは歩き出した。
「シャルル様、どちらへ?!」
慌てるフレデリックにこちらから車に向かうことを告げると、彼は目を見開き、困惑した表情をみせた。
「私一人では警護が手薄です。」
「問題ない。不測の事態が起きても君の責任は問わない。」
「そういう問題では……!」
そう言いながらもフレデリックは覚悟を決めたのか、小さく息を吐き、歩き出すオレの後に続いた。
それからスマホを取り出し、どこかへかけ始めた。
「今、ホテルを出たところだ。あぁ、そういうことだ。現在エルミナ通りを西に向かっている。頼んだぞ」
運転手をこちらに呼びつけたのか。
フレデリックはオレの決めた事には必ず従う男だ。今回のようにたとえそれが危険な判断だとしてもだ。その代わり、彼なりに新たな一手を打ってくるのはいつものことだ。
運転手に警護までさせるつもりか。
「運転手には危険手当もつけてやってくれ」
「何かあればもちろんそうしますが、その際は申請書の作成および当主のサインが必要となりシャルル様の貴重な時間を頂くことになります。」
「それは困る。身の安全には十分気をつけることにしよう。」
こんな会話ができるのは親族を除けばフレデリックぐらいだ。それが彼を側に置く理由の一つでもあった。
友と呼べるものは今のオレには一人もいない。ふと、かつていた友を思い出す瞬間でもある。
胸の奥を擽られるような感覚に口角を緩ませていた時、突然、通りに面した建物から女が飛び出してきた。
避ける間もなくオレの左腕に突進してきた女はその弾みで後ろへ手をつきながら尻もちをついた。
「Tu vas bien?」(大丈夫か?)
相手は女だ。
さすがに見て見ぬふりもできずに手を差し伸べた。すると女はオレの手を取り、立ち上がった。
「えーっと、あっ、メルシー。」
心臓がギュッと締め付けられるような感覚にオレは目を閉じ、自らを鎮めた。
女が日本語を口にしたからだ。久しく耳にした懐かしい響きに眩暈さえおぼえた。
「シャルル様、大丈夫ですか?」
フレデリックは振り返り、微動だにしないオレを見る。
「あぁ、大丈夫だ。」
「マドモァゼル、お怪我はありませんか?急いでいるようだが飛び出しは危険です。パリの街にはろくでもない者も多い。相手によっては絡まれる事もあるから気をつけなさい。」
フレデリックは女に対して自然と日本語を口にした。
屋敷内ではもう何年も使用していなかったが、さすがは流暢なままだ。
「すいませんでした。痛っ……」
ペコリと頭を下げた拍子にショルダーバックの持ち手が肩からずり落ちそうになり持ち手を押さえようとした瞬間、女は声を上げた。
手をついた拍子にでも捻ったか。
手関節靭帯損傷、運が悪ければ小指軟骨損傷の可能性も考えられるな。
オレが自然とそんな風に見立てていると、女は手首を気にしながらもバックの持ち手を今度はしっかり押さえ、再び頭をペコリと下げた。
「本当にごめんなさい。では失礼します。」
結局フランス語は「merci」だけか、と思うと何だかおかしくなってきた。
この女は一体何者でパリには観光にでも来ているのか?
女は左右を見渡し、迷うような素振りを見せていたが、やがて左を選んで歩き出した。つまりオレたちが向かっていたエルミナ通りを西へ。
「大使館なら右だぞ。」
「えっ?」
女は驚いたように振り返った。
「パリに着いてすぐに盗難にでもあったといったところか。」
「何で知ってるのよ。もしかしてあんたもグルなんじゃ?!」
女の突飛な思考におかしくなる。なんと短絡的なんだ。女は先ほどまで申し訳なさそうにへの字に寄せていた眉を一気に吊り上げた。女の皺眉筋の可動域にもまた驚く。
「シャルル様、さ、参りましょう。」
フレデリックは不穏な空気を感じてオレの背に手を添えるようにして先を促した。
「目の充血は早朝便でパリに到着したからか。エコノミー特有の狭い座席のためよく眠れないまま市内観光。そして盗難に遭い、慌てて警察署へと駆け込んだ。」
オレは女が飛び出してきた建物を見上げた。パリドゴール警察署本部。ここは観光名所の一つでもある。渋滞を作り出す原因の一つだ。
「ところがフランス語が全くわからない君は日が暮れる前に何とかしなければと焦り、大使館へ急いでいた。違うか?」
「あなたは一体……」
女が怪訝な表情をみせた。
「シャルル・ドゥ・アルディ。」

 

 

 

 

つづく