ルパートが空軍へ入隊した年の春、当時の空軍大将が屋敷を訪れた。よほどアルディ家の人間が空軍を選んだのがお気に召したのだろう。
オレとルパートは父に呼ばれてその場に同席した。
たしかあの時、入隊式で同期の一人が緊張のあまり倒れ、近くにいたルパートが医務室へ運んだという話を父と大将はしていた。
「我が空軍にアルディ家の優秀な人材がーーーところでルパート君だったかな。うちの軍医はなかなかの美人だっただろう?」
「いえ、それは……」
「女性とは珍しいですな」
「えぇ、あのフレミール家の、たしか名はジュリアだったか」
「それならずいぶん昔に一度うちへ来たことがあるお嬢さんだ。あの時シャルルはいなかったな。ルパート、お前は覚えているか?」
「いえ……」
この時オレは、一つしか年が違わないわりにずいぶんと偉そうな態度の叔父ルパートの弱みを垣間見た気がした。
あれから数年、結婚相手など誰でもいいとは思っていたが、さすがに気分の良いものではない。今朝の会議の場でルパートが何を思ったかは知らないが、要らぬ感情を持たれては面倒だな。
会議の結果を覆すには3/4の賛成を得なければならない。オレの意見を聞く気などない連中を一人ずつ当たるには時間が足りない。根回しをしている間に挙式を迎えることになるだろう。
「ジル、フレミール家はやめておこう」
「興味がなかったのではありませんか?」
「あぁ、オレは皆無だ。だがルパートは今日の会議で何を思っただろうな」
「まぁ!」
ジルは口元に手をあてて驚いた顔をした。
無理もない。
オレだってまさかあの大理石や貴公子の恋路を気づかう日が来るとは思ってもみなかったんだ。
**
午前10時。
今朝は普段よりも早めに起床し、特別な客を迎えるために身支度を整えた。
「フレミール公爵様がご到着され、結契の間でお待ちでございます」
「わかった」
結契の間は本邸内の最奥にある特別室の一つだ。ここは結契の儀を行うためだけに存在する。
結契の儀とは相手方の父をアルディへと招き、当主となる者が改めて結婚の許しを乞うというものだ。
とはいえ、これはあくまでも形式的なもので特別に何かをすることはなく、通常は世間話をして終わる程度のものだ。
なにせ相手方にしてみればアルディ家との繋がりを持てるのだ。
許すも許さないもないのだからな。
だがオレはそれだけでは終わらせはしない。
「君の活躍は多方面から聞かされているよ。鑑定医として、また心理学の立場からもいくつかの難事件の解決にも尽力しているそうだね、シャルル君。軍関係者の間でも君の活躍は囁かれていてね。私としても誇らしい限りだよ」
「古くからの知人の頼みでいくつかの事件に協力した程度ですよ」
「あの猟奇殺人事件の解決にも一役買っていたそうじゃないか」
意図せずに会話はオレの勝機を呼び込むものへと進んだ。
「えぇ、あの時はちょうど著書のためのサンプリングを兼ねて娼館へ通っていた頃です。まさか年若い娼婦との情事が事件解決の鍵となるとは思いませんでしたが」
その瞬間のフレミール氏の表情はオレの望み通りのものだった。
「シャルル君、今も娼婦を?」
「フレミール公爵、娼館通いなどは古くからの貴族の戯れじゃないですか。むしろそれぐらいの甲斐性がなくては……」
これほどまでにオレは他人に作り笑顔を見せたことはない。
「な、……っ!」
フレミール氏は言葉を飲み込み、オレを見る目は明らかに侮蔑の色が浮かんでいた。
「おっと、失礼。花嫁の父親にするような話ではなかったようだ」
ストレート過ぎるぐらいの方がむしろ良いだろう。
「シャルル君。ジュリアを、娘をどうか悲しませることだけは……」
「その点はご心配なく。私はあまり本邸へ帰ることはないので、そういった後でも娘さんに悟られることはないでしょう」
その瞬間フレミール氏は両手に拳を握り、激しく葛藤しているのがわかった。
彼がオレの演出したシャルル・ドゥ・アルディに嫌悪感を抱いたのは明らかだ。
「シャルル君、たしか、君は早くにお母様を亡くされたとか」
「えぇ、白血病だったと聞いています。それ以前も母は精神を病んでいた為、ほとんど私は一緒に過ごすことはありませんでした。幼少期における親との関係性および死別体験は心的適応に対し強く影響する。私が心的愛着障害なのかもしれないと?」
「いや……何でもない。君は、私などとは比べ物にならないほど優秀な医者だったな」
そう言い残し、部屋を後にするフレミール氏の背は苦悩を纏っていた。
つづく