彼女の部屋に入ると真っ先に目に飛び込んできたのは足がうずまりそうなふわふわのスリッパだった。
前にあたしがこの部屋を使った時と同じものだ。
今あたしが使っている部屋のスリッパとはあきらかに違う。
辺りを見渡せば当時の記憶がよみがえってくる。あの時は特別扱いしてもらっていたのはわかっていたけど、スリッパのような小物一つとってもこんなに違うもんなんだ。
「この部屋、すごく素敵でしょ?シャルルさんが君はこの部屋を使いなさいって」
あたしが部屋の豪華さに見惚れていると思ったのか、彼女はしたり顔でそういった。
ここはシャルルにとって大切な人をもてなすための特別な部屋なのかもしれない。
あの頃はあたしがシャルルにとって、そういう存在だったんだろう。
もうどうやってもあたしには取り戻せないものが、今は彼女の手の中にあるんだ。
そう思うだけで胸が苦しくなる。
前にシャルルとの面会を希望する人たちが待つ部屋「控えの間」が第一の間から第十の間まであると執事さんから聞いたことがある。
それにゲストルームだっていくつもあってゲストの重要度やシャルルとの親密さによって部屋のグレードが決められるって言ってたっけ。
つまり今のシャルルにとってあたしは、シャワーブースしかないような部屋で十分だろうと思われているランクってことなんだ。
彼女が羨ましいというよりは自分がシャルルにそんな風に思われていることが悲しかった。
彼女は弾むように部屋の中を進んでいき、最奥にあるテラスの扉をゆっくりと開けた。
「マリナさん、こっちへ。ほら、テラスからの眺めもとても綺麗でしょ?」
半円を描いたような広めのテラスに立つ彼女のワンピースがふわりと舞い、あたしの髪を撫でるように冷たい風が部屋の中へ流れ込んできた。
笑顔で待つ彼女の誘いを断ることもできずに隣に立った。あたしはぶるっと身震いをした。
三階だから余計に寒いんだわ。
そりゃ中庭はライトアップされていて綺麗だけど、寒さには勝てないわ。
「とても綺麗ね。でも冬のパリはさすがに寒いわよ。早く中へ入りましょう」
あたしが歩き出した瞬間、彼女に肩をぐっと掴まれた。
「ねぇ、マリナさんの部屋は一つ下のフロアでしたっけ」
あたしは驚いて振り返った。
「ええ、そうだけど」
あたしが答えると彼女は大きな目を細め、鋭く光らせた。
「ふうーん。知り合いってだけで一階じゃないんだ。なんで?」
え……?
彼女の声が急に低くなった。
あたしをなめるように見ながら、彼女はあたしの周りをゆっくりと歩き始めた。
「何でなのかは、わかんないけど」
「いきなり二階に通されるとか、あなたいったいシャルルさんの何なの?!」
一階にもゲストルームがあるんだ。それは知らなかった。上の階にいくほどグレードアップなのかもしれない。
婚約者としてあたしの扱いに不満があるんだ。あたしは誤解を招かないようにシャルルとの関係を説明した。
「シャルルはあたしの友達の親友でね。その友達の紹介で前にシャルルに助けてもらったことがあるの。それだけよ」
医者としてはもちろん、天才的な頭脳にも何度も助けてもらったわ。
そう思うといつだってシャルルはあたしの頼みを聞いてくれた。
たとえそれがどんな願いでも。
それこそ死をも越えた領域にまで……。
シャルルがあたしより何かを優先することなんてなかった。
今日だって見ないフリもできたのにシャルルはあたしを助けてくれた。
でも、知り合いを見かけたら普通それくらいはしてくれるか……。
「友達か何か知らないけど、あなたを探しまわるシャルルさんを見ていて思ったのよーー」
彼女はそこで言葉を切った。
探しまわるってどういうこと?
シャルルは偶然、あの場に居合わせたんじゃないの?!
言いながら彼女はテラスの扉を背負う位置に来ると足をピタッと止めた。
「ーー邪魔だなってね」
つづく