きらのブログ

まんが家マリナシリーズの二次創作サイトです。

時の流れ(後編)

「それ、どうしたのよマティス?!」

ドアを開けるとマティスはスーツ姿で立っていた。仕立ての良い紺色のブレザーに薄い水色のシャツとグレーのパンツを合わせたとても大人びた姿にあたしは息をのんだ。

「お母様ただいま。中に入ってもいい?」

戸惑うあたしを他所にマティスは部屋の中へと入っていく。

「ねぇマティス、どうしたのよ、その格好」

マティスはあたしを振り返りながら手にしていた大きめの黒いケースをダイニングの椅子の上にそっと置いた。
リビングの奥からはシャルルがこっちに近づいてくる。

「お父様、ただいま帰りました」

シャルルは椅子の上に置かれたケースにちらりと視線を向けながらマティスを見た。

マティス、このところ帰りが遅いと聞いている。行き先も伝えていかないのは感心しないな」

マティスは緊張した面持ちでかしこまるとシャルルの正面に立った。

「ごめんなさい。これからは気をつけます」

その時シャルルの動きが一瞬止まった。そして緊張しているマティスの頭にそっと手を乗せた。

「あまり心配をかけないようにしなさい」

マティスはシャルルに叱責されると思っていたのか緊張がとれたように目を輝かせて「はい」と答え、シャルルも静かに頷いた。
二人の間に無言の会話が交わされているようだった。

シャルルはそれ以上何も聞こうとしないけどあたしはマティスがどこに行ってたのかが気になって二人の無言の会話に割って入った。

「ねぇマティス、一体どこに行っていたの?」

マティスはそれには答えずに椅子の上に置いたケースに近づきロックを外した。

「マリナ、ここにおいで」

シャルルはソファに座りあたしに隣に来るように言った。

「だって……」

「いいから、ここへ」

あたしは渋々言われるままにシャルルの隣に座った。

「グァルネリだ……」

シャルルがため息をこぼしながら呟いた。その視線の先を辿るとマティスはケースからヴァイオリンを取り出し、少し気取ったようにお辞儀をする。

「明日の二人の結婚記念日に僕からのプレゼントです」

「えっ?!」

あたしが驚いて声を上げたのを合図にしたかのようにマティスはヴァイオリンをさっと構えた。
艶やかな音色と共にどこかで聞いたことのあるメロディーが流れ出す。シャルルがあたしの耳元でそっと囁やく。

パッヘルベルのカノンをソロ用にアレンジしたものだ」

美しい音色と心地の良いメロディーにあたしは思わず吸い込まれるように聞き入った。
マティスにはヴァイオリンを習わせたことはなかったのにいつの間にこんな風に弾けるようになったんだろう。
あんなに小さかったマティスがこんな風にあたし達のために素敵なプレゼントをくれるなんて胸が熱くなった。
溢れ出す音色に身を委ねるようにマティスは体を揺らせ、まるで幸せを運ぶ船に乗っているようだった。
弓を引く手が止まりビブラートの余韻を残して静寂が広がるとマティスは再びお辞儀をする。
あたしもシャルルも立ち上がり大きな拍手でそれに答えた。

マティス、すごく素敵だったわ。いつの間に練習していたの?」

マティスは誇らしげにそして少し照れたように弓を持つ手で頭をかいた。

「二カ月ぐらい前から薫さんに教わっていたんだ」

か、かおるに?!
そう、薫は小菅で倒れた後コンテナごと兄上と共にフランスに移送されシャルルの治療の甲斐もあって日常生活を送れるようにまでなっていた。だけど兄上はあの時のまま今もずっと眠り続けていてあたしがアルディ家に来た時にはもうこの家を出て二人でパリ郊外にあるシャルルの私邸で暮らしていた。ついこの間だって遊びに行ったけど薫は何も言ってなかった。

「それで今日も帰りが遅かったってわけ?」

そうだ!だから行き先も言わずに出掛けてたんだ。薫の所に行くって言うとあたしとシャルルにヴァイオリンの演奏をするってわかってしまうからだったんだ。

「うん。サードポジションが上手に出来なくてこの三日間は猛練習したんだ。それにしても薫さんのレッスンは厳しかったけどおかげで最後まで弾くことが出来て良かった」

照れながらそう話すマティスが愛しくて胸が震えた。
それにしてもさっきシャルルはマティスにあれこれと詮索しなかったけどもしかして知っていたのかしら?

「ねぇあんたはこの事、知っていたの?」

シャルルはサラリと髪を揺らし首を振った。

「いや、もちろん知らなかったよ。だがマティスの正装とヴァイオリンケースを見てピンとは来たよ。それが確信に変わったのはグァルネリを見たからかな」

ふとシャルルがあたしの肩を抱き寄せた。

「君の愛情を一身に浴びてマティスはとても良い子に育った。
この先マティスが成長し、共に過ごす時間が僅かになったとしてもオレ達は不安になったりせず二人で彼の成長を見守っていこう」

そしてシャルルはマティスに歩み寄りそっと抱き寄せた。

「オレ達の元に生まれてきてくれてありがとう。君はオレの誇りだ」

そんな二人の姿が涙で滲んだ。あたしは心からシャルルと家族になってマティスが生まれて来てくれて本当に幸せだと、今日の出来事は一生忘れないと心に誓った。


fin