玄関ホールで足を止め、ドアの向こうで苛立っているであろう男へと電話を掛けた。
「用件は何だ?」
「わかっているんだろう?」
「いや、わからないな」
はぐらかすように答えると電話の向こうからため息が聞こえてきた。
「あまり時間がない。いいから開けろ」
「こちらの条件を飲むなら開けてやらなくもないが」
「私が手ぶらで日本まで来たと思うか?」
「いいだろう」
鍵を開けるとサックスブルーの瞳を怜悧に光らせたルパートが忌々そうに立っていた。
「あまり私に手間を掛けさせるな」
「嫌ならオレはこのまま日本にいても構わないんだぜ」
「この数日間、お前達がどこのホテルに滞在しているのかまったく掴めずにいたというのに、突然アルディ家のメインバンクを経由してこのマンションを買っておいてよく言う。個人資産でも十分に決済できたものをあえて私達に居場所を知らせるのが目的だったんだろう?」
「どうするかは土産を見てからにしよう」
するとルパートは胸ポケットから一通の封書を取り出した。
「親族会議の決定書だ」
正式なものとしてアルディの紋章で封蝋までされていた。
内容はアルディ家としてオレとマリナの結婚を容認すること、ジャクリーンを直ちに解任し、当主へと復権することが条件として書かれていた。
「それでジャクリーンの状況は?」
「米国立癌研究所への支援を打ち切ったおかげで特別役員を解任、ロンドンで開かれたオークションでは総額数億ユーロを散財、フランス医学院の部会員を剥奪、産油国ブルネアとの永続的交渉に失敗……他にも問題は山積みだが、まだ聞きたいか?」
「いや、結構だ」
さすがはジャクリーンだ。
オレの想像していた以上にやってくれたようだ。
「パリへ戻る気になったか?あまり悠長にしていると更に状況は悪化するぞ」
「明日の午後、日本を発つ。羽田にジェットを準備しておいてくれ」
「それならお前のお気に入りのボンバルディア社のBD700を羽田に停留させてある」
「さすがだな、ルパート。やはり君を味方につけておいて間違いなかったようだ」
「ジュリアとのことでお前には借りがあるからな。では私は先にパリへ戻る。お前も帰ったら忙しくなるだろう。覚悟しておくんだな」
そう言い捨てるとルパートは踵を返し、マンションを後にした。
「ねぇ、誰だったの?平田さん?」
訪問者が帰ったのを見計らってマリナがリビングから顔を覗かせた。
「この新居でもう少し君と過ごしていたかったのだが、思ったよりも早かったようだよ」
「どういうこと?」
「オレ達の勝利ってことさ」
訳がわからずマリナはキョトンとしている。
「親族会議でオレ達の結婚が認められたんだ。代わりにすぐにでもパリに戻って体制を立て直さなきゃいけなくなったんだけどね」
「本当に?!」
「あぁ、明日からまた忙しくなりそうだ」
***
ーーかくてマリナの現状はーー
あたし達がパリに戻って2ヶ月ほど経った頃、ルパート大佐とジュリアさんの結婚式がサント・シャペル教会で行われた。
パリ最古といわれるスタンドグラスは聖なる宝石箱と称されるほどに美しかった。
そして何より二人の誓いのキスが何とも絵になってたこと!
同時にあたしは来年に控えているシャルルと自分の結婚式を想像して一気に青ざめてしまった。
うぅ……まったく絵にならないわ。
披露宴ではそれぞれの友人からお互いが初恋の相手だったことを公表され、あのルパート大佐がなんと赤面していたのよ!
シャルルも大佐の気持ちには気づいていたと言ってたけど、まさかジュリアさんもだったなんて運命よね。
うっとりと二人の姿を見ていると、隣でシャルルがあたしの手をギュッと握った。
「来年はオレ達もあの二人に負けないぐらい素敵な式をあげよう。そして二人で幸せになろう」
「うん。あたし、あんたと一緒にいられて本当に幸せよ」
fin